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日本テーマパーク史研究ノート11〜富士ガリバー王国について10:クラシックに電話をする

はじめに(この記事を書こうと思った理由が書いてあるよ!読みたくなければ飛ばしてね!!)

日本にはかつて数多くのテーマパークがあった。

それらはバブル期を中心として全国に作られたが、多くはバブル崩壊といった経済的な危機や他の娯楽に押され、閉園に追い込まれる。一方で一部のパークは現在でも営業を続け、日本における代表的な観光地として知られている場所もある。

その数の多さにも関わらず、日本においてこれらのテーマパークを「1つの文化」として包括的かつ通史的に扱った言葉は、今のところ、まだ、ない。
このNoteでは日本のテーマパーク史について、研究ノートのように書く。あらかじめ断っておくと、筆者は専門でテーマパーク史を研究しているわけではない。いくつかのサイトで記事を書くライターでしかない。

ただ、ライターとしてデイリーポータルZや雑誌記事などで書く機会があり、今後そうした媒体でテーマパークについて書くと思うから、そのための研究ノートだ。取材ノートでもいい。したがって小さな事実誤認や、思い違い、調査不足などは多めに見て欲しい(というよりそもそも、日本のテーマパーク、特に閉園してしまったテーマパークについては資料そのものが残っていないことも多いのだが)。ここに書き記すのはあくまでも調査の過程だと思って欲しい。もちろん修正点が見て使った場合は適宜修正していくが、それも含めて一つの調査の過程だと思って欲しい。

タイトルは「日本テーマパーク史」。ちょっと範囲が大きすぎるのではないかとも思ったが、とりあえず全体のテーマはこうした。大きく構えていても、一つのテーマパークについて、少しずつ回数を分けて書いていくことになる。いきなり日本のテーマパークについてその見取り図を書くことなどできないし、そもそも「テーマパークとはなにか」という定義さえ、私の中でも決まっていない。
おそらく、少しずつ個別のテーマパークについて書きながら、徐々にその全貌が見えてくるのだと思う。

したがって、その調査の過程を楽しんでくれれば、と思う。

幻の富士ガリバー王国を求めて10

さて、前回の投稿から随分と間が空いてしまった。
随分と、と書いたが2年ほどのブランクだ。これはもう調査研究をやめてしまったと思われても仕方がないと思う。
ただ、その間にも細々とではあるが調査は続けていたり、テーマパークについては考えていたりして、決してこのノートのことを忘れていたわけではない。

たまにNoteからの通知が来ると、ずいぶんとこの「日本テーマパーク史研究ノート」は読まれているようで、富士ガリバー王国の調査の続きについてもぜひ続けて書いて欲しいという声が、この二年間で何度かあった。

そうやって待ってくれている人がいることはありがたいし、そんな人々のためにも続けようと思う。

これまでやったこと

で、本題の富士ガリバー王国についてである。

ここまでの調査内容をすっかり忘れてしまっていたから、改めて自分でもここまでの調査を思い出してみた。2001年に閉園してしまった富士ガリバー王国はその後、土地所有者の間を転々とし続け、2020年2月の段階で千葉県にある「和泉総合開発株式会社」に移転した。そこで和泉総合開発株式会社に電話をして確認したところ、土地の詳しい情報については、ひとつ前の所有者である「富士クラシック」に聞いて欲しいと言う一点張りだった。

そこで、実際にクラシックに電話をしてみた…

というところで前回は終了したのだった。

クラシックに電話をした

さて、では、実際にクラシックへの電話はどうだったのか。
すでに2年前に電話したことだから若干記憶に違いがあるかもしれないが、その時はこんな会話をした。

谷頭 すみません、富士クラシックさんでしょうか。私ライターの谷頭和希というものでして、御社が持っていらっしゃる土地に建っていた「富士ガリバー王国」の撮影についてお尋ねしたいのですが・・・
先方 はあ。それはどんな媒体で掲載されるものですか?
谷頭 いや、掲載というよりも個人的な調査研究で、まあ、何かしらのサイトで特集することはできるんですが・・・
先方 いや、そういう不確かなことではなくて、どういう風なアウトプットがあるのかを知りたいんですよ

ということで、「アウトプット」を教えてほしい、という一点張りで、肝心の土地の情報やら、富士ガリバー王国のことやらについてはまったく教えてくれない。まあ、そんなものだろうな、とは予想していたものの、けんもほろろとはこのことである。しかも、こちらが段々と食い下がらずに聞いているうちに、向こうが苛立ち始める。なんならかなりイライラしている。怖い。とりあえず、このまま食い下がらないと、なにか「法的手段に訴える」だとかなんとか言われそうな勢いだったので、名前と連絡先だけを教えて電話を切る。

もちろん、知りたい情報は何も知ることができなかった。

富士ガリバー王国は「忌み地」なのか

ただ、一つだけこの電話と、前回の「和泉総合開発株式会社」への電話をとおして感じたことがある。
「富士ガリバー王国」について、関係者全員が暗く陰鬱な雰囲気を持っているということである(いや、主観なんだけど)。ある意味では、1997年から4年間、人々に楽しみを与え続けてきた富士ガリバー王国の跡地は、どこかその楽しいイメージと反して「忌み地」のような、触れてはいけないタブーのような雰囲気を醸し出している。

もちろん、これはその近くにかつてのオウム真理教の施設があったことや、「富士山」という土地の近くであるということから私が勝手に抱いている印象かもしれない。ただ、関係者とまがりなりにも話をした身としては、どこかそう言った雰囲気を感じざるを得ないのである。

あれから2年の歳月が経った。もしかすると、登記簿上では、富士ガリバー王国の跡地はすでにまた別の人物の手に渡っているかもしれない。それでまた誰かの手に渡っていたら、今度はとうとう、この場所が「忌み地」のように感じられてしまう。どうしようか、登記簿、2年ぶりにまた取り寄せてみるか。

ちょっとやってみようと思い立つのであった。

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