#匿名短文開花ショタ企画 の全感想及び投票記事
表題の通りです。企画元はこちら。
あいさつ
今回。智子は参加していません。出来ない理由は次の通り。
「第二次性徴を迎える前にガチガチに勃起する男の子」だったので、開花するショタ云々ではありません。満開でした。いつ花開いたのか。私にはわかりません。
レギュレーションについて
ここがねぇ。第二次性徴じゃなかったら、実体験を交えて色々と書くことは出来たんですが。おそらく、それは「読者が求める」ショタではない。ガチの性愛や秘匿された秘部への探求著しい男児の冒険になりかねません。
投票を決めねばならんので、ぼちぼち感想を考えてみます。
この記事を書いている時点で、全作品の通読を完了しています。
なので、感想を書くために読みなおしながら、感想にあたっています。
感想
01:雨の日はバスが遅い
ショタの視点から描かれる話です。おねショタです。男たちの原体験の中に、おねショタは多く存在しています。
皆さん初恋は幼稚園の先生や保育園の先生だったでしょ?
貴族の男の子はナニーメイドで精通を迎えるのがお約束です。
どこの世間だ。智子の世間です。
今回はバスの運転手のお姉さんだったというわけです。
私がこの「おねショタを含む、性愛の目覚め等」を言及していくとき。
「ラブロマンスは射精欲に通じます」
ととんでもない話をしているんですが。これも似たようなものであって、恋と愛の差は「見返り」を求めるか。求めないかの話です。
今回の企画における「好き」という文言等から「恋」に準ずるものであることは期待できます。そして、その「恋」というのは「見返りを求める」ものです。
「僕がこれくらい好きなんだから、相手にもこれくらい好きでいて欲しい」
といったような「報酬」を期待できるものであり。同じ位に求めてほしい。といった願いや祈りのような切実さを期待しています。
その点で見ると、その期待を言語化できるほどの年齢ではないのですが。運転手のお姉さんへの独善的な好意など、それらを感じさせる書きぶりは見事な作品でした。
お互いに認知してそうな位の領域が良いです。少年よ。強くあれ。
02:初恋の思い出
読書や物語というのは。受け手の人生の枝葉が増えれば増えるほど、ストライクゾーンが広がります。
智子は数多くの初恋をそれぞれの女の子に捧げていましたが。この作品もその時の記憶を呼び起こしてくれる。良いトリガーです。
兄姉を通して、知り合う人。は魅力的な要素を感じます。
このおねショタって不思議なものがあって。結婚適齢期の世の女性達が「稼ぎが少ない同年代の男性達」よりも「稼ぎが期待できるちょっと年上(ほんと数年程度ですが)の男性達」を結婚の対象として見ている時期があるように。
年上のお姉さん達が魅力的にうつったりするんです。
おねショタは広く、伝わる原体験なのです。ええ。
実は智子は「興奮の余り鼻血が出る」という経験はないんです。鼻くそを深追いしたときにざっくりと流血することがあるくらいです。
本当に興奮して鼻血って出るんですかね? 創作物としての記号的な表現の一つなんでしょうか。
智子は4つ上の兄の同級生に懸想していた時期があります。なんか、色々と問題を抱えた女の子であったのはおぼえているんですが。当時小学二年生の智子が、てんやわんやしている時期(母が躁うつ病を患い、家の中が大戦争状態)に色々と気にかけてくれるお姉さんにほだされたのです。あと、おっぱいが大きかったのも理由の一つです。
駄目です。こういう思想や発想ゆえに、私は作品提出を断念したのでした。
この企画を通して「世間の皆さんが願うおねショタ像」を少しずつ、輪郭を得ていこうと思います。
03:【少年】が死んだ日 [性描写あり]
えっちぃ。でも良いですね。この射精欲に囚われた感じが良いです。エンタメコンテンツとしてのそれとしてみると、リアリスティック過ぎるので、評価は別れると思いますが。
「男児の性的衝動に関するメモ」として見れば、興味深い作品の一つです。
私はレンタルビデオ屋のピンクのカーテン(R-18コーナー)の向こう側で、パッケージングされたあられもない格好のお姉さん達を前にガチガチに勃起している幼稚園児でした。
本垢でも公開しているので、別段問題はありませんので、ここでも紹介します。
1歳11ヶ月の智子ちゃんです。こいつは1年後にはビデオ店のアダルトコーナーに「知らない振り」して、入り浸るようになります。家族みんなで、週末に見る映画を借りに行く。家族団らんの時間に抜け出して、アダルトコーナーに直行する男の子の無垢な時期の写真です。
私がいつもアダルトコーナーに飛び込むことを兄と姉は知っていて、両親が探しに来る前に私をアダルトコーナーから引き剥がしに来ていました。こういった部分から下半身の滾りを未就学児以前から理解している子どもでした。
こういった背景もあるので、智子としては興味深い気持ちで読めた作品でした。
男児を持つ親御さんの皆さん。性的に早熟な我が子をまえに心配にならないでください。その子は智子のような立派な文士になります。
04:立ち上がれ、護星獣王
爆笑です。良かったです。
ショタの性欲や欲情にフォーカスするとき、こういった舞台設定で、欲情を促すヒロインたちを並べるなどの見せ方が上手でした。
ショタを欲情させる。という困難と思われる課題に対して、任務を与えられた少女達の発言もいいです。
こことか最高でした。智子としては「エッチなことさせてくれるなら誰でもよい。どのものの挑戦も受けて立つ」といった。エッチなことに興味津々な男の子だったんですが。桃の戦士によるイベントと、主人公の反応等により「物語上の課題」が高まっています。
事件のハードルをあげる。という作劇上の基本と作品のテーマが綺麗に噛み合いながら、展開しています。
だれもこの純朴なショタを欲情させられないのか。
地球のピンチ。といった中で、一肌脱いだオペレーターのお姉さんの一声でショタが大欲情。地球の危機が救われる。大団円です。
エンタメとして最高の仕上がりの作品でした。おそらくですが。レギュレーションにあった「滾り」といったものを「直接的に表現」するのではなくて、機械がたちあがる。というメタファーでギンギンな勃起を表現しているのがセンスの良さを感じています。
面白かったです。
05:嘘つき姉ちゃんの結婚
良いですね。嘘をつく姉ちゃん。と嘘をつきつづけるぼく。ということば遊び的要素があります。
大人のお姉さん達っていつでも、年下の「ぼく達」をないがしろにしてきました。
智子は幼稚園の頃、おっぱいの大きな幼稚園の先生が好きでした。あとはシスターじゃないのも良かったです。智子が通っていたのはキリスト教系列の幼稚園だったので、教員免許をもったシスター達が幼稚園の先生してたりもするんですが。たまに「シスターじゃない教員」もいました。いつもヨボヨボのおばあちゃんみたいなシスターばかりの中、ピアスと茶髪をしたおっぱい大きな幼稚園の先生に智子を含めた他の男子生徒はメロメロでした。
先生に殺到する求婚の嵐。もちろん、智子もその場にいました。どの男の子達よりも選ばれる自信がある。さかしいガキでした。
だって、智子の写真を御覧なさい。
何度でも、こすりますよ。
こんな可愛い子に求婚されて御覧なさいよ。ズキュンですよ。よく周囲の大人から言われましたよ。
「知らないおじさんについてっちゃだめだよ」
と。
とまあ、このように求婚を行っていたんですが。なんと、智子の求婚は受け入れられたんですよ。智子は有頂天です。智子が差し出す花を前に先生は「ありがとう。嬉しいよ」と返事をしてくれたんですから。
クラスメイトの男たちに強い優越感とともに過ごしていましたが。先生は夏休みがあけると「寿退職」していました。
あとから知ると。智子以外の男の子達も「求婚が受けいれられた」と誤認していたようで、残った男の子達で肩を寄せ合ってないていました。クラスメイトの女の子たちの嘲る視線はよくおぼえています。
こういった経験からわかるように。おねショタの魅力。というのは「少年と大人」が同じステージに立たない。女性がアドバンテージを有したままであることに尽きると思っています。
本作はその「女性優位のアドバンテージ」を無くさないまま、少年の「嘘をつく」という決意をもって、おねショタの悲劇や憧れに落とし込んだ作品です。
おねショタってのはこういうもんなんですよ。
投票悩むなぁ。おねショタの本質をついた作品が多い。皆、余り表に出さないだけで。おねショタ有識者ですよね。
06:魔性のショタは気が付いてしまった
ドアマットヒロインの男性バージョンです。
おねショタというジャンルは、誰のものなのか?
おねショタの「ターゲット」について、考えてみたい作品です。
この作品の読者ターゲットとして「女性読者」をターゲットにしているのは明らかです。
女性向けのおねショタ。というジャンルがエンタメコンテンツとして開拓されて、ちゃんと明確にジャンルとして認知され始めたのはいつ頃なんでしょうね。
『私の少年』あたりは意識して書かれた作品のようにも思います。
おねショタヒューマンドラマです。バチバチのラブロマンスってわけじゃないんですよ。人間が誰かと関係を築くといったときに、想定される諸問題に色々と立ち向かう話です。
この作品もターゲットは「女性読者」としている作品だとは思います。美しい少年との関係。妙齢の女性としての「社会における憂鬱さ」や「責任」等、をフックにして、ショタと時間を共有していくお姉さんの話です。
本来おねショタは「男性のための物語」であったように思います。男の子達が届かぬ相手に捧げる思慕の情。大げさに言うなら、騎士の物語なんです。届かぬ思いを届けるために。月に向かって恋の矢文を放つみたいなものなんです。
気まぐれに月の女神が、微笑むことはあるでしょうけど。基本的には叶わぬのです。
しかし、この「年の差の男女」がエンタメコンテンツの中に登場したのはいつなのか。私が記憶の中にあるコンテンツでは次の作品でしょうか。
メインのキャラクターというわけではなくて。メインの親友枠の女性たちがそれぞれ。年上の男性。年下の男性との恋に関するサイドエピソードを提案していました。
たしか、その時は「小学生男子」と「お付き合いをする女子高生」の話がサイドエピソードでありました。後日談だったか。ショタが青年に近づいていくシーンは読みながらクルものがあったのをおぼえています。
女性向けの作品や雑誌のジャンルの中でも「年下の男性との恋」というのを積極的に取り入れるようになったのは、おねショタのオリジン。種。ミームとして観測できると思っています。
それは女性たちが「恋の相手を自分で選ぶ。自由恋愛。女性として束縛されない」という女性の活躍のモデルとして、様々な属性を持ちうる男性たちとのラブロマンスをえがくことは、時代の流れだったんでしょう。
そして、本作『06:魔性のショタは気が付いてしまった』も、少女漫画や女性向け作品の中で耕されてきた文脈の作品であると捉えています。
にくからず思っていた女性に恋人がいた。という点にショックを受け、独占欲を自覚する。等はレギュレーションに該当するものであろうかと考えますが。
14歳。もうすぐ15歳の少年が「好き、独占欲」に通ずる感情や、好意による暴力性に無自覚であった。というのは、一つの「女性向けファンタジー」としての男性の描かれ方であろうかと思います。
こういったディテールやドアマット形式のあるヒーロー像も相まって、女性向け作品としての色味が強まった作品でした。
女性向けおねショタの教科書。といって良い、お手本にできる作品の一つであろうかと存じます。
07:ぼくと、先生
ああ。なるほど。こういう感じなんですね。物語的に精通に至るまでの流れを当時の言語化能力の範囲で、描くとしたら。こういうテイストになるんですね。
とても良い作品です。だけど、これらを「エンタメコンテンツ」としてジャンルに落とし込むのは非常に難しいとは思います。というのも「精通」に至る体験に関しても「男性達の間」でも結構認識に差があるからです。
Twitterでも言及はしていたんですが。男性読者が共有できる原体験となりうる「夢精」や「精通」に至るまでの道筋が随分と分岐があるので、ジャンルとして決め打ちは出来ないんですが。独自性として作品を見るならば、高い水準にある作品でした。
智子の兄がやたらと自身の陰毛を抜く時期がありました。それは彼に陰毛が生え始めていて、自分の体の変化に驚いた兄が「抜けばなかったことになる」という考えの元、抜いては便器に捨てていたようです。なんといじらしいことか。
朝方のトイレの時間に入れ替わり立ち替わりといった中で「なんだこの陰毛は」と智子は思っていました。その時の智子。小学二年生です。気づきすぎでしょ。
ああいった。体の変化について、人々はひどく驚き、動揺するのだろう。というのは知識として知っていました。兄の様子からもそう推測していました。
そして、それに関する描写や、変化に関して年齢相応にファンタジックな描き方が大変好ましい作品でした。
こことか。
この作品の真骨頂なんです。夢精に至る話を、映像的に表現している。とても良いアプローチでした。性的な要素に関して「導きを与える大人達」の描かれ方が「リベラル的」ではあるので、そこら辺の部分も非現実的ではあるんですが。物語ですから、これくらいの塩梅が美しいと思います。
ああ。作品の完成度として高いですねぇ。ショタぁあああ。
08:デイジー・ブルー
叙述トリック的な要素のある作品でした。
皆さんいつから思慕の相手が同年代の幼馴染だと思っていましたか? 皆さんいけません。固定観念を捨てましょう。私達は誰が相手でも恋をしていいのですから。
届かぬ相手に捧げる気持ち。というのが、おねショタの正道ですから。その点で考えるならば。この作品もおねショタ騎士道として見たときに正道です。
ストレートだなぁ。叙述トリック的な要素から読者を楽しませようという意欲もあります。
私が他の作品でも触れていたように。
「恋」という部分が「見返り」を求める形での「返報性」のあるものだとしたら。この「見返り」を求めない。形式で、欲求を表煮出してこないスタイルは「愛」としての提案の話でした。
ショタが「見返りを求めない」といったスタイルを選択しているので、これは愛の形式の物語に足を突っ込んでいます。
このスタイルが「恋」を前提としているときの読者の需要からは、少々外すのではないか。と予想しています。
どうなんだろうなぁ。私の心のショタに自問自答し続けています。結果がきになる作品でした。
09:かたしろ [残酷描写あり]
ファンタジックな「呪術」に絡む物語と。ショタですね。
ショタぁあああ。とは違う部分で、物語としての短編の完成度を高めにきた作品でしたね。過去を回想する形で「ショタ」という性質を満たしてくれました。
ショタの正道ではありません。どちらかというと、ファンタジックなラブロマンスとしてのそれでした。
「夜に来てはいけませんよ」
と言われたらねえ? 夜に来ますよね。
「決して後ろを振り向かないで」
と言われたらねえ? 後ろを振り向くのが男(いざなぎ)なんですよ。
そういった形で、この文字数で短編として成立させようとした作品でした。
人を呪わば穴二つ。呪われた人と。呪いを飛ばした人の墓穴の話です。ドアマット。可愛そうは可愛い。
力あるショタ。
ショタおねの作品でした。
10:拗らせ女子は夢魔の夢を見ない
面白かったです。ショタの存在の方をファンタジックなキャラクターとして登場させています。それは夢魔(インキュバス)という「性愛」を意識できるキャラクター像です。
上記の説明は「厳密」なインキュバスの説明なんですが。エンタメコンテンツ界隈においては「サキュバス。インキュバス」という性愛の開放自体を期待できるキャラクター像として、引用されたりする悪魔像です。
ちょっとエッチな男性向け作品とかでは「サキュバス」という悪魔を活用して、男性達がめくるめく夢の快楽に飛び込むといった「舞台装置」としての役割を果たすことが多いです。
それと同様の期待感や読者への誘導を目的とした作品です。
タイトルにもあるように「こじらせた女性」として登場する私が主人公です。どれくらいこじらせているかというと。
好きの定義にこだわりがあるように。
『ロマンティックラブ・イデオロギー』という奴だと思います。
私達、創作に関わる多くの人々が。この思想を念頭に。ラブロマンスを求められている傾向があります。
主人公の「私」もその思想を十分に受け入れていて、それらの思想を「ショタ」の夢魔に提示し、ショタがそれを学習してしまう。といった話です。
これらの「こじらせ女子」が、どういった成長を果たせるのか。個人的には興味のある作品のセットアップでした。
アプローチは独特でしたが。面白い切り口でした。
11:北国の初夏 [性描写あり]
ショタが性愛に目覚める。といった部分を表している。レギュレーションに大して真摯な作品です。
文体が昔のそれだったり、漢字が常用のものではない。などの運用を行うことで、作品のムードを作ろうとしています。
しかし、描かれている世界観やキャラクター名詞が異世界ファンタジーものであるため、最初そのムードを読み取るのに苦心しました。
とは申しても、ふりがなを振る。中点による強調を示すなど。読みやすさへの一定の配慮を示してもいたので、読めないっていう方はそんなにいなかったんじゃないでしょうか。
ちらっと見えるおっぱいについて
智子の実家のとなりには、ピアノ教室がありました。父親曰く「おれが小学生の時に、音大を卒業したてのお姉さんだった」とのこと。智子は例の写真の通り非常に可愛らしいオノコでした。隣に住まうオノコとして、家の前で遊んでいたら。「智子ちゃん。いらっしゃい。お菓子でもあげるよ」と言われて、ノコノコとお家に上がるタイプの子どもでした。
実はこの写真も実家ではなく。ピアノ教室での一枚です。ちなみに智子はピアノを習っていません。習っていたのは兄と姉です。
習うことを求められたりもしたんですが。
家でピアノの練習を苦しそうに繰り返している兄と姉をみて育った私は「僕はいい」と頑なに断っていました。
そんな関係性のおっぱいが大好きな智子は。生活のさなかにチラ見えするピアノの先生のおっぱいに心躍っていたか。というと、さほど興奮していなかったのはおぼえています。
ぢえれみゐ少年はあふろら孃の健康的な体つきに、性欲を覚える。といった発露の話でしたが。智子が「あまりにも近しい関係性の相手」に対して、欲情を持てなかった。というのは読書中の気づきでした。幼い智子なりに「生活圏の近い相手に対しては欲情よりも、親愛の方が先に立つ」という妙な感覚を修得していたのでしょうね。
この部分で考えたときに実はもう一つ。性的な魅力を感じえない。遠い関係性の人物がいたことを思い出しています。
高校時代の文芸部の先輩の一人でした。美術部の部長も兼部していて、絵本を一人で作成し、賞を総ナメするタイプの才女でした。大体どの女性に対しても、欲情を瞬時に抱くタイプの男でしたが。その人に限っては欲情を持つことがなかったです。というのも、よくよく考えてみたときに「体臭」が、家族のそれとそっくりだった。というのがあります。遺伝的な性質か。母の内分泌系の形質を遺伝していたのか。母の子どもは全て似た香りをしていました。私も含めてです。
こういった部分で「どうしても欲情できぬ相手がいる」という「獣じみた」警戒感で、女性の選好を持っていたこともあります。
実はこのぢえれみゐ少年も似たような表現がありました。
ぢえれみゐ少年。君は智子だ。異性を香りで判断している。
こういった細々とした部分での女性への魅力を感じる描写だったり何だりが、リアルなラインを感じ取りながら読んでいました。
よくわからない部分としては、どうしてこの文体(伝聞調の近現代小説風味)としたのか。それは、作者発表の際にお訊ねしてみたいですね。
12:6歳上の未亡人を娶った僕の馴れ初め
結構気に入っている作品です。おねショタです。ショタからの熱烈な求婚。そして、それを「余裕をもって感情を受け取る」ヒロインのシーンです。
基本的に結婚相手が定まってしまうのがロイヤルな社会でしょうから。それらがかなうことをまだ知らぬ少年が、一途な求婚。
最高じゃないですか。個人的には現状で優勝です。
さらには年少の男。が年上の男性陣達の遊びに付き合えないレベルの疎外感。というのはね。次男として、過ごしてきた智子には十分わかる感覚なので、そういった部分が強い一体感となってショタを眺める事ができました。
さらには、タイトルでログラインを示そうとする試みがあります。
どちらかと言うとおねショタというよりかは、将来的にはショタ主導の「ショタおね」に近いんでしょうね。だけど、現在はまだおねショタなんです。おねが主導であるし、おねに余裕があるんですよ。
今後、おねがどのようなイベントを経て未亡人になるのか。それを約束するタイトルや引きでもあったので、ラブロマンスを好む読者層は純粋に興味をもっていられる作品だと思います。
多分、投票にも強いんじゃないでしょうか。
13:五百円の記憶
この切り口できましたか。という驚きとともに読み進めました。
短編として非常に高い完成度を示しました。舌を巻く思いです。読者は選ぶでしょうが。読み物としては高い技術で作り込まれた作品だと思っています。
基本的に「セックス」に関するテーマとかで、着目するところは。
「他者にとって魅力とされる」こと自体が承認の一つとして働くことがあります。今回の場合は美しい少年。美しい男性の視点から、過去の罪悪感や「妖しさ」を表現している話であろうかとは思います。
内容が内容で、過激であるため。注意は必要であろうかとは思いますが。「セックスによって得られる承認」を男性のショタ視点で、描かれているのです。
企画のレギュレーションを読んだときに「異性愛限定」とはされていなかったので、こういった作品も出てくるだろう。とは予想していましたが。予想以上にハードなものを打ち出してきました。
もう少し膨らませて、がっつりと一般文芸に寄せてみるとのも面白いんじゃないかなぁ。とは思いました。
どれくらい票は入るんだろうか。インモラルな作品ですからね。どうなるのか。
14:朝顔とハンバーグ
開花するショタ。というレギュレーションで見たときに正道はこの形ですよね。お互いの関係性を描写しつつ、おねに彼氏の存在を告げられる。といった形で、少年に変化が訪れる。
正道です。
しおれた朝顔を活用した。隠喩等も巧みですね。
『05:嘘つき姉ちゃんの結婚』だったり。
『12:6歳上の未亡人を娶った僕の馴れ初め』だったりにも通じるんですが。おねが別の人を好きである。という「ラブロマンス的障壁」を設定し、恋心を自覚する。という形式は強いですね。
この評価基準で選ぶと、どれかを落とすことになります。苦しいですね。
ここまで感想を残しながら思っている部分としてですが。
皆さん少年視点うますぎでしょ。
15:九龍城砦の星と黒龍 [残酷描写あり]
おお。異性愛ではなく、同性愛的芽生えとしてのそれです。続きとかありそうな気がしますけどね。
基本的に「付き合っていい相手」と「付き合っちゃいけない相手」というのが世の中にありまして。皆さん大人をやってれば、そういったものに少なからず出会ったり、お見かけしたりすることもあろうかと思います。
そういった部分の分別がついている少年の「敬愛」的な要素から「性愛」的な部分への変じた描写です。
書き出し祭りの「ファースト10」に関する要素で見たとしても、丁寧にイベントが展開されて、主人公の能力が示されたり、作品中のテーマと期待される恋心が示される。などもありました。
この舞台で、物語読んでみたいですね。続きは書かれないのだろうか。上手な一作でした。
16:今夏のポジションチェンジ
個人的には一番好きかもしれません。構成としては他の作品とも似通ってはいるんです。
『05:嘘つき姉ちゃんの結婚』
『12:6歳上の未亡人を娶った僕の馴れ初め』
『14:朝顔とハンバーグ』
の三作と一緒なんです。だけど、ショタが非常に前向きで、物語への方向性を強く示している。さっきから触れているおねショタについて。
「ショタのそれは実らない」
といった部分自体をおねショタの魅力の一つや型式であると。捉えてはいるんですが。ラブロマンス的要素として、捉えたとき。非常に力のある書き出しだったと思います。
バスケットボール。という部分や、ポジションという話題からも。言葉遊びとしての比喩も秀逸でした。
おねショタとしてというより、ラブロマンスの作品としての「年の差」ものとして、高い評価を得られそうな作品です。主人公が能動的なスタイルであることは、良い読後感を与えてきました。
17:終わりかけの椿
創作における「死を暗示させる花」というのは色々あるんですよね。
彼岸花(ヒガンバナ)
クロユリ(黒百合)
ユリ(百合)
ラフレシア
黒いバラ
デッドリー・ナイトシェード(ベラドンナ)
色々あるんですが。
実は椿というのも。死を連想させる花です。
タイトルに「意味をもたせる。ログラインをもたせる」という「長文タイトル等の効果」に似たものがある作品でした。
クレヨンしんちゃんの映画のヒロインも「つばき」というものであって、幼い頃にこの名前のヒロインにどきどきしていたのをおぼえています。
そういった「暗示めいた」タイトルから、始まるムードの作品であり、それに答えた短編でした。
少女は結核だったんですかね。その連れ出したときの罪悪感にフォーカスした短編です。
死を暗示しているタイトルですからね。おそらく、書き手はそれを知っているんじゃないか。罪悪感から詳細を調べぬまま。というところでしょうか。
18:人形志願
幼いころの智子は着せ替え人形でしたよ。
ええだって。智子はめちゃんこ可愛かったですからね。
なんどだって、こすります。
とは申しても。この作品の構成も一つ似通ったものがありますね。
『02:初恋の思い出』も姉の友達。という属性がある人たちです。こちらの作品の方がコミカルに寄せている印象ですが。
着せ替え人形的な扱いについてもそうなんですが。ある程度の「強制性」が伴う関係性からのそれって、一つの型式ではありますよね。
これを申し上げると。炎上の種になろうかとは思うんですが。
これまた高校時代の文芸部の後輩で、女装が趣味の方がいました。きっかけは何だったか? というと、女性陣からの「着てご覧なさいよ」という強制的な装着への圧力。そして「強制的故の快感」みたいなものが病みつきになって、楽しみ始めた。という経緯を伺ったことがあります。
そのときの話を思い出す作品でした。
結構、共有できる導入なのかもしれませんね。
19:シェフターリの誘惑 [残酷描写・暴力描写あり]
えっちぃ。
とてもえっちぃ。
首絞めセックス。というジャンルや楽しみ方があるようですが。私は血管へのダメージを恐れて、試したことはありません。智子は長生きしたいのです。
皆さん、血管へのダメージに敏感な人生を送りましょう。
さて。短い文字数の中でも、それぞれのキャラクターの思惑であったり、今後の展望に関する情報を撒くなど。短編としてのそれより。連載を前提とした世界観の作り込み方に近いものを感じました。
女性向けの異世界恋愛ものは。短編で評価を得てから、長編に誘導する。といった挙動があるので。それに近い作成方針を感じました。
おそらくですが。この作品は「女性向け作品の書き手」の方であろうかとは存じます。しかしながら、男性ショタの解像度の部分がちと高いなぁとは思っています。
おねショタの根源的な欲求って簡単なんですよ。
「ショタの欲望を叶えてくれるママ(無償の愛情)を持つこと」みたいな部分があったりしてて、なんでも叶えてくれるドラえもんみたいなおねを求めてるんです。
だけど、本作のショタは「ヒロインは見返りを求めている」ことを十分に理解しているので、今後の物語の導線を暗示しているんです。
だけど「見た目」の上では「何でもしてくれる。理想のおね」が提示されています。
見た目と内面の乖離が、物語としての期待値に寄与していると思いました。
おねショタを望む「読者の期待値」を満たしつつ、物語的な展開への下地を示した作品です。
この部分が上手な一作でした。
20:僕の中に眠る熱。 [性描写あり]
えっちぃ。もう、とてもえっちぃ。
とは申していますが。性描写になるのか? というと、どうなんでしょうね。
性器の描写もしておらず、あるのは「背中に手が触れている」ということであり、魔力を開放する。という流れのものであったので。性的な要素はないんですけど。
なんか、えっちぃ。魔力を開放する。という非常に真面目な儀式であるのに、別の熱が宿ったままである。という部分から「性愛への目覚め」のレギュレーションを満たした作品ですね。
射精してませんからね!? 魔力を開放しただけです!
この書き手の方にですね。「おねショタ免許皆伝」を差し上げたい。
『19:シェフターリの誘惑 [残酷描写・暴力描写あり]』の感想でも書いたんですが。おねショタの根源的欲求とは。
「ショタの欲望を叶えてくれるママ(無償の愛情)を持つこと」です。
今回の場合は。ショタに「能動的な欲望」はないんですよ。どっちかと言うと、急に降って湧いたような「魔力開放の儀式」であるので。厳密には違うんですが。
育ての親に、なんかエッチな感情を持っちゃう。という話のシチュエーションなんですが。他の感想でも触れたように。
「貴族の男の子はナニーメイドが初恋で、精通の相手なんだよ!」
という高らかな叫びを上げたように。そういった「上位者としての女性との関係性」を下地に、おねショタワールドを展開している。この人は相当おねショタに詳しい。
今まで、魔力を制限されていた。という新しい情報の提示で、今後の彼の活躍を約束するような意味合いもあるし。こういった広がりのある短編をかける。おねショタ作家の発掘を智子は歓迎したい。
ぜひとも続きを書くように。強く期待しています。
投票の前に(表現規制問題等への政治的な要素が絡みます)
見出しにもあるように。
開花ショタ(若年者の性愛等の芽生え)について、考えるうえで。
未成年による性愛等の描写に伴う、社会的な要請(未成年と成年を主体とした恋愛ものを楽しむこと自体が非倫理的である)というものを考えるのは避けて通るべきではないな。と思ったので、触れていこうと思います。
どこから触れていきましょうか。
非常にセンシティブな話題ではあるし、どこから導線をつなげるべきか。わかりかねるところではありますが。
この話題について、どの程度の情報を共有できるのか。
性的なコンテンツによる学習等
日本には未成年が視聴するにふさわしくないコンテンツ。
という考え方があります。
上記の通りです。詳しいことはウィキペディアをご覧になれば概略がさわれると思うんですが。
要約すると。
「戦後の日本は適正な民主主義国家を実施するために『言論の自由』を尊重する社会になった」
となれば。次は反動のように。
どれだけ低俗な出版物なのか。
めっちゃ興味湧きますよね。
ということで、ご紹介です。
エロ・グロをコンセプトテーマとした「いわゆるえっちぃ雑誌」です。
当時はこういった雑誌が「言論の自由」という名目のもと、出版物として氾濫しておりまして。
それらを「けしからんなぁ。これは規制するべきではないか?」といった声がそこかしこから上がった。というのが経緯のようです。
しかし「言論の自由」は戦後、アメリカから金科玉条のごとく与えられた金言ですから。さすがに「政府が規制すると検閲に当たるぞ」といった部分で、出版社が自主規制をする。ということで、決着がついているわけです。
似たような経緯で、ゲームだったり、映画だったりとそれぞれの自主規制の機構が存在するようです。
私もふわっと理解はしていたんですが、調べてみれば納得です。私達のご先祖さま。皆さん昔から「えっちぃ」作品大好きだったんですねぇ……
この「自主規制」の「ゾーニング」の理屈を調べてたんです。
「果たして本当に未成年や成年に対して、コンテンツによる性的な加害性の学習や助長はあるのか?」
結論から申し上げると。
「あるかもしれないけど、ないかもしれない。実はまだ良くわかっていない。だけど、影響が懸念されるから自主規制しとこうや」
というのが現代の自主規制の動機です。
驚くことに。根拠なんて全く無くて、自主規制しているんです。
「それって、当時の人の感想ですよね?」
という、なんかしら妙に煽ってくるおじさんが頭にはよぎるんですが。それはあんまり考えないようにしましょう。
実は私達の社会とか。ルールというのは「根拠」というのは案外なかったりします。
新しいイノベーション。新機軸。新産業が産まれたときに、後追いで法律をつくったりしますし。
新産業を産むために「規制を緩和」してみるなど。試行錯誤が沢山あります。
法律作ってみたは作ってみたけど上手くいかなかったり。なんてね。
この「ゾーニング」というのも「試行錯誤」の一つなんです。
「未成年が読むにふさわしくない(と思われる。根拠はないけど)作品は自主規制しましょうね。無法地帯だったら法律作らせちゃうから。それは言論の自由の建前上できないからね!」
といった話でしかありません。
この話をした理由はあるんですよ。ちゃんとあるんですよ。
本企画に懸念される倫理的な問題
今回の 『#匿名短文開花ショタ企画』に予想される批判的な意見については。
「創作物とはいえ未成年のラブロマンスの基点になりうる発想(性愛)の物語はいわゆる低俗出版物に該当し、それらを称揚、称賛する行いは政治的に正しくない」
といったように。現代の「コンテンツの表現規制を唱える一派」に目を付けられかねないレギュレーションです。
目を付けられるって。ヤンキーか。
智子の中で、あっこらへんの表現規制関連の人たちの意見も通読したことはあるし。読んだうえで申し上げますが。
「お気持ちの議論」なんです。
というところには結論として落ち着いています。
「お気持ち」っていう表現方法が非常に「揶揄」しているように取られる要素はあるんですが。
前段に説明を重ねたように。表現の自主規制についても「根拠はないけど。なんか悪そうだから規制しときましょう」というふわっとした意見なんですよ。
それと同じように「過激な表現が何かしらの犯罪を誘発している」という意見も、ゾーニングの範囲を拡大しましょう(根拠はないし、なんか影響ありそうだから)。といった話でしかないんです。戦後に発足した表現の自主規制の延長線の話なんです。
ここで勘違いしてはいけないのは。
私達が社会を構成するうえで、お気持ちというのも大事な要素ではあるんですよ。
子どもたちに危険性のない場所で生活して欲しい。
安全な社会であって欲しい。
すごく良い社会ですし、良い思想だと思います。
「性的なコンテンツは性犯罪や性加害を助長するのか?」
という議論は「幽霊は存在するのか?」というオカルティックな議論と同じレベルの話なんです。
いるかもしれないし、いないかもしれない。ちなみに智子は「幽霊はいる」とおもって、過ごしています。
生活のなかでふとした実感を伴いながら、霊的な。オカルティックとも取れるような体験を繰り返しています。
それと同じように「性的なコンテンツは性犯罪を助長するのか?」というのも「根拠」は持てないですが。智子の個人的な感想やお気持ちとしては。「多少なりとも影響はある」とは考えています(幽霊はいる。レベルの話ですよ?)。
しかし、それは「仮にも日本が民主主義を掲げていて、選挙による社会への参加を前提としている社会の根底を覆してまで、規制するべきではない」と考えています。
性的なコンテンツがなかったときに、人類の歴史から「性加害」の歴史が消えるわけじゃありません。
娼婦も、性奴隷も、権力の上下関係から「性的な」事件は沢山あったでしょう?
性的な暴力によって、敵対する民族を浄化する。といった思想があるように。昔から性暴力は「侵略」とともにありふれた概念です。
問題は「この作品はあくまでもフィクションですよ」といった部分を念頭に楽しめることが大事です。
昔から性的なことに旺盛だった智子にとって、セックス(性交渉)というのは非常に大きな憧れがありましたし。いざ、大人になってそのときになってみれば「なるほど。こんな感じなんだなぁ」と「理想と現実」の着地を繰り返して、経験と成してきました。
しかしこの経験っていうのは「コンテンツを通して予想していた理想のセックス像」と「現実のセックス像」を両者を摂取したから、感じ取れる着地点であったわけですよ。
まとめましょうかね。
「未成年のセックス」自体が非常にリスキーであることや、パターナリズム的価値観の部分から「未成年の性的な欲求を管理するべき」という思考が相まって、さらには「未成年の妊娠による負担を防ぐ」という利潤もあるのが現在の制度です。
現代の子どもたちは「関係性の構築」のための性行為にアクセスするべきでない。と規定されている社会なので「セックスへの理想が深まるだけ」という部分で見れば、レーティングの指定によって、未成年への視聴の制限程度でとどまるのでいいんじゃないかな。と思っています。
よって、作品のレギュレーション上「倫理的な問題」は孕むのですが、それ自体が規制の対象となるほどのものではない。カクヨムのレーティングに従っていれば何ら問題はないものとおもいますし。皆さんもゴリゴリと感想を書き連ねて欲しいと思います。
いやあ。保守的ですねぇ。こういうのが智子です。
順位予測に関して
どうして、事前に「表現規制」に絡む話題に言及したのか。というと、投票の予測を立てるのも。智子のトレーニングの一貫です。
その事前段階としての「人々の許容度」「お気持ち」という観点を事前に示しておきたかったんです。
「未成年にあって欲しい大人からみた子ども達」の像というのが社会に存在しています。
純粋で純朴。裏表のない素直な子どもたち。愛らしさや加害性のかけらもない。
そんな理想を大人たちは持っています。そして、子どもたちもそんな大人の理想を汲み取りながら生活しています。
「子どもたちは性的なものとは無縁であってほしい」
という理想や、穢れの概念があったりします。ここでもまたこすります。
こんな純朴で、可愛らしい子どもが、1年後には股間をガチガチにさせながらアダルトコーナーに直行するんですよ。性的な欲求にストレート。当時の智子は固まる股間に疑問符です。
「何故、ぼくのそれは固くなるのか!?」
という、疑問を常に抱え、文字を覚えたあとは性教育の本をむさぼり読む子どもでした。
おかげさまで、保健体育の筆記の試験は満点をとる子でした。
子どもたちは大人が制限したとしても、別の方面から学習を繰り返していきます。善意も悪意も。親が制限しようとも、しまいとも、あまねく形で吸収していきます。
表現規制の議論等も。子どもたちの探究心の前では、障子の紙みたいにあってなきようなものです。
というわけで。この企画の「性愛による好きという自覚」というレギュレーションが「ロック。反骨」的な精神にあふれていて、その理念を理解した書き手の皆さんは優秀です。
開花ショタ。尖った作品が勢揃い。
順位予測検討のメモ(尖った作品)
尖った作品というと。複数あるんですが。もっとも、鋭利なものを取り上げたいです。眺めたら、やはり二つかなぁ。
『03:【少年】が死んだ日 [性描写あり]』メモ
この作品はおそらくですが。開花ショタというレギュレーションから期待されていたものとは、ちょっと違うベクトルの作品ではあろうかと思います。
というのも。智子が事前に予想していた「開花ショタ」の傾向というのが。「少年が加害性を持たない。安全安心なショタ」が物語の導線に乗っていないと、女性読者達にとっては「危険性のある有害な男性」としてのショタに映るので、エンタメ作品として考えたときに女性票からのそれは見込みづらいだろうなぁ。と思っています。尖ってます。尖ってますよねぇ。
『13:五百円の記憶』メモ
この作品も尖ってましたね。鋭利な返しつきの釣り針みたいなレベルでした。
この性欲を「悪いこと」のように捉える考え方って、キリスト教由来の文化的性質があります。女の子が性欲を持つこと。性に対して奔放な態度を拒否する気質等も通ずるところはありますよね。
今回の場合は「男の子」なんですけど。
この尖ってる部分はなにか。というと。「明らかに犯罪」なんですよね。そして、その犯罪を受けている「被害者」の視点からのそれであるので、コンテンツとして消費するうえで「センシティブ」な要素はあります。この部分「性加害」に抵触する話題を切り込んでくる。そして、そこを「フックとして」性愛への目覚めの話としてくる。尖ってますよね。
性別は違うんですが。似たような形で「幼い頃の性的な加害」をテーマにした作品読んだことがあるんですよね。
今、新装版出てるんですね。
海を抱くの方だったとは思うんですがね。幼少期の性的な加害と。それに対する「欲情していた自分」を罰するないし、抑圧する周囲の大人。といったように、課題を設定している作品でした。
今作についても、短編にとどめずに。描き方次第では膨らませて、文芸方面で出してみるのも面白いんじゃないかな。とは思いました。
順位予測検討のメモ(レギュレーションとしての開花ショタ)
見出しの通りです。先ほど取り上げた作品は「尖って」ました。今からあげる作品が尖っていないか? というと、そんなことないんですが。
レギュレーションに期待される「友情と愛情の違いによる部分からの、性愛に目覚めた」ショタという部分をなぞりにきた作品です。
この部分も「性愛」に目覚めた時点で、女性たちにとって「警戒感を与えるショタ」としての気質を見せ始める作品をピックアップしたいです。
女性キャラクターに危険性を及ぼす可能性のあるものは、それだけで。ショタとしてのジャンルの期待値からそれるキャラクター像にはなるからです。
『11:北国の初夏 [性描写あり]』メモ
性描写あり。ともあるように、性的な描写がある作品。女性に対して、露骨に欲情をおぼえている少年を「伝聞調」で描写している作品です。彼の名誉のためにいくらか描写が控えられているという文言があることから察するように、とんでもないことしてるんでしょうね。あっしらはそこが読みてえんだよ!
とは申していますが。ここの部分。性愛に露骨な作品としての要素です。
『16:今夏のポジションチェンジ』メモ
ショタおね的要素にラストに転換した。という部分は投票の動向に影響がいくらかあるんじゃないでしょうかね。と思っています。
投票の予測を立てるうえで、特筆するべき作品は上記の4作品として考えました。女性優位ではない。というだけで、投票の動態に影響がありそうだと思っています。あまり振るわないんじゃないかなぁ。物によっては「性加害」に類するものもあるでしょうから。そこの部分で受け付けない人は受け付けないでしょうね。
順位の予想(智子の考えるターゲット層へのメモ)
順位の予想をします。予想するうえで、検討しておくべき要素は。「女性の考える安全なショタ」を実現しつつ「女性側のアドバンテージ」が担保されている作品です。
基本的に投票の傾向として。「男性にも女性にも支持される作品」はひょっとのぼってくると予想しています。
現段階で女性優位かつ女性の願望的な「ショタ」としてのそれは。
『10:拗らせ女子は夢魔の夢を見ない』この作品だと思います。おそらくこの作品は「女性票」はかっさらっていくんですが。男性票は薄いんじゃないかな。会場内10位から5位を争うんじゃないかなぁ。とは思っています。
男性票はどこに集まるだろうか? と言ったときに予想している作品はあります。
「男性にとって都合の良い女性像」が描かれた作品であることです。
ママですよ。ええ。ママに決まってますよ。おねショタのショタが欲するところは「圧倒的ママ感」です。女性側がなんの見返りも求めずに一方的に与えてくれる。男性読者は精神的ヒモになりたいんですよ!
与えてくれる女性はどの作品でしたか?
『04:立ち上がれ、護星獣王』ですね。皆さん満場一致で。この作品はおねショタです。しかも、一途な少年のおねショタです。なにがすごいって、ショタの描写をまったくしてないのに、オペレーターのお姉さんにしか欲情しないという一途属性です。この点は女性読者も「エンタメコンテンツ」として、ショタに嫌悪感をおぼえずに楽しめる要素だったと思います。一応、テイストとしては男性読者の作品だとは思うので。どうなるんだろうなぁ。
でも、相当数の票を得られる作品だとは思っています。
もう一作! 予想される圧倒的ママ感を提示しましょう。
『20:僕の中に眠る熱。 [性描写あり]』です。
厳密には性描写ではないんですよ。精通と魔法の開放をミスリードさせる形で書いているんですが。そこは一つの叙述としての作品ではあるんですが。一番大事なのは。「ショタ」と「おね」がどのような関係にあるのか。周囲には親子と思われている。おねショタものです。魔女集会で会いましょう。とかではないのわかってるんですよ。ええ。
もうね。おねの優位性がいっぱいいっぱい。
ショタの受動的な感じも最高。
男たちの「ママへの願望」を満たしつつ、開花ショタを実践しようとした秀作です。
というわけで、持ち票2票「エンタメコンテンツを嗜好する男性読者たち」の多くは4と20に集中するんじゃないでしょうかね。
さて。
おのずと。男性読者の欲望と。女性読者の欲望をミックスできた作品がエンタメ作品の投票先として浮上してくる。という結論になるんですが。どれだろうなぁ。
ここまで色々メモしましたが。わかりませんぞ。
エンタメ嗜好の作品じゃなくて、文芸畑の試みの作品もあるし。どちらかというと、今回の投票は書き手のほうが割合多いような気がするんですよね。規模としてみると。
であれば。読者層としてのクリティカルな要素よりかは。書き手が好む嗜好の作品で考えると、順位はがらっと変わりそうです。
よっしゃ。決めました。順位予想です。
1位予想:『07:ぼくと、先生』
誰が読んでも嫌悪感なく受け入れることができる文体やムード。キャラクターの配置などは、やはり「小説の技巧」として秀逸であることは否定できない作品です。
性欲ギンギンだった幼い智子からすると。
「こんなに綺麗な少年いるか!」
という自身の経験と照らし合わせることにはなるんですが。本当にみんなが読みたい「ショタ」を書くことが、私達書き手に求められる要素だったりします。けっして、いつも煩悩でいっぱいの少年の心情を書くことは「女性読者」に求められていない。というのを考えたときに、多くの男性読者(智子はおそらく異端です)にも。女性読者にも支持を得られる作品として予想します。
2位予想:『17:終わりかけの椿』
タイトルからは不穏さも伝わります。椿という言葉から連想される読後感の予想も十分に満たした。情報のあるタイトルによる誘導が発揮された作品です。レギュレーションを満たした形での、開花するショタに取り組んだスタイルは、読み物としても非常に興味深く楽しめました。
智子は「おっぱいバインバインのおねショタ」作品とか。「ママのような包容力」をおねショタに求めるので、滾りはしませんでしたが。一般的には滾るタイプの随想であろうかと思います。
3位予想:『04:立ち上がれ、護星獣王』
かなり予想としては悩みましたが。おそらく上位に食い込む作品のポテンシャルです。書き手として好む作品。好まれる作品というのは色々評価軸があると思うんですが。
「エンタメコンテンツの書き手」の人たちからすると、嫉妬を覚えるほどの完成度の作品なので。皆さん涙をのみながら「書き手」として、投票していくんじゃないですかね。開花するショタのレギュレーションを情緒的な要素で描いたもの評価する。という考えの人からすると、票は遠のくんですけど。エンタメコンテンツとして見たときに「わかりやすさ」という部分でいうと、飛び抜けた面白さがある作品でした。
この要素は「男性向け作品」であろうとも「女性読者」達も無視できない面白さがありました。
だって、いろんなおねに迫られても動じなかった少年が、幼馴染属性のあるおねの主体的な行動によって、少年がギンギンになるんですよ。
男性読者も。女性読者もこういうのが大好きなんですよ。相当強いと思います。
予想は以上です。
あとは投票しますか。
智子の投票
もう。皆さんおわかりでしょう。おねショタですよ。男性の願望を叶えてくれる。おねショタが投票傾向です。
1位票:『04:立ち上がれ、護星獣王』
この作品で決まりですよ。おね優位のおねショタです。
しかも、なにがすごいって。複数の「ヒロイン」を並べたうえで、それらを全部なぎ倒して黒崎シズカが全て持っていくんですから。見事です。
ネット小説って「コミック的」楽しさを求める節があります。コミックとして考えたときに「見せゴマ」として期待できるシーンが描写されていることは、エンタメ嗜好の智子としては刺さりました。面白かったです。
2位票:『20:僕の中に眠る熱。 [性描写あり]』
ええ。
ママショタ属性のあるおねショタです。
もうね。これはどうして選んだのか? って言われると。
智子は欲望に忠実だからです。
もう。おねショタ免許皆伝。セットアップが完璧。惜しむところは「短編」としては不満足。ええ。大長編にして欲しいですね。
というわけで、次の通り投票しました。
さいごに
長い記事になりました。智子がどうしておねショタを切望するのか。何を魅力に感じているのか。そして、その魅力は世間とどのような乖離を示しているのか。こういったものを見つめる時間が非常に長かったです。
リベラルな視点から、女性読者達の選好等について様々触れていましたが。結局は「女性優位のおねショタかつ包容力のあるおね」の魅力に収束しました。
私はあんな「リベラルですよ」みたいな顔しながら、表現の話題をしていますが。包容力のあるおねに誘蛾灯のように引き寄せられるんです。
最近公開した書き出し祭りの作品のファンアートを御覧ください。
おねショタです。
おねショタです。
おねショタです。
おねショタです。
おねショタです!
全部おねショタです。
こういう作品を考えている智子ですから。
投票先の選好を「智子が好きな奴に決めた!」ってすると、もう決まったんですよ。
皆さん、臆することなく。好きなものを叫んでください。投票してください。
非常にセンシティブなネタの作品もありましたが。恐れることはありません。堂々と投票してください。智子は包容力のある「おね」が登場する作品に一本集中でした。滾ったぞ!
今回も勉強の多い企画でした。面白かったです。
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