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この世にある「映画」をすべて集めよ ー『フルスタリョフ、車を!』

夜、一面が雪に覆われたロシアのある町ではクリスマスなのだろうか、町中に電飾が施されておりその大通りには一台の車が止まっている。誰かが口笛を吹くと向こうから一匹の犬がやってくる。カメラが90度パンをすると大きな屋敷の柵の向こうから1人の男がこちらへ向かってくる。その男はこの屋敷のボイラーマンらしい。彼が門の近くにあるブレーカーらしきものをいじるとすぐさまそれは爆発し、男を転倒させ同時に屋敷全体に施された電飾を点滅させる。ボイラーマンは起き上がり、屋敷の前に止めてある車を認めるとそのエンブレムを盗もうとする。しかし中には人がおり ーしかもよりによって当局の人間だったー ボイラーマンは捕まってしまう。

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アレクセイ・ゲルマン監督の単独長編4作目となる『フルスタリョフ、車を!』は、上記のようなシークエンスで幕を開ける。モノクロ画面に最も映える雪と闇、黒澤の『用心棒』を彷彿とさせる犬、サイレント映画のようなコミカルさのあるボイラーマンの転倒と電飾の点滅、ヒッチコック映画の最良の瞬間のようなKGBの登場。どれを取っても素晴らしい主題で始まるこの作品は、2時間30分に渡ってこの密度を保ったまま展開する。この映画的な密度の濃さは、主題の面白さ、カメラワークの適切さ、画面の中の物の配置、レンズの操作による視野の変化、照明の完璧な配置などによる様々な劇的技術の総動員によって生まれている。


アレクセイ・ゲルマンは、映画が器から溢れるほどの量存在しなければ気が済まない性格らしい。というのもこの映画の中には、あらゆる「映画的なもの」が含まれており、それらがこの映画的な密度の濃さを実現させているからだ。この作品では、1つのシーンの中で多くの出来事が同時に発生しており、それらをほとんどの場合ワンカットで捉えている。しかも、それら複数の出来事は矢継ぎ早にカメラの前で展開され、観る者の眼を休ませることを知らない。ゲルマン映画の撮影風景を見たことがない者でも、それがどんなにカオスなものになっているか想像することは難しいことではないはずだ。私はこのように、観る者に余裕を与えないほど出来事が矢継ぎ早に発生する映像に関して、「運動の余白のない」映像と呼んでいる。ゴダールや鈴木清順などが好んで使用しているこの「運動の余白のない」映像を、ゲルマンは全編に渡って導入しているのだ。例えば、クレンスキー少将が初めて作品中で病院に現れるシーンでは、様々な医師に話しかけられ、回診し、自らの替え玉に遭遇するといったいくつもの出来事が、ワンカットではないにしても考えられないほどのスピード感で捉えており、それはカメラと対象の両者に対して指摘できるという点で、「運動の余白のない」映像に他ならない。

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また、クレンスキーの自宅で同じように「運動の余白のない」映像が繰り広げられるシーンでは、時折人物がカメラの方を見据えるという不可思議なショットがある。ゲルマンは先の運動余白を欠いたショットだけでは飽き足らず、ゴダール=小津的なカメラ目線まで導入し、映画的な映像を作品にもたらそうとする。

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これ以外にもこのロシアの映画作家は、画面に縦の構図を好んで導入したり、望遠ショットが構成されうるように役者を演出し、さらには頭に飲み物の入ったコップを乗せるゲームや、病院から外に出る際に頭から落ちるといった主題的な反復を導入したりして、作品を映画的たらんとする。インタビュー、「もううんざりだ」でも語られたように、自由に映画を作れなかったロシア映画界への不満が爆発したのかもしれないが、それでもここまでの映画的質量の大きさは異常だ。この作品は時折、物語がわかりづらいと言われがちである。しかしその「分かりづらさ」は、これだけの「映画」を詰め合わせた作りにおいて当たり前のことだろう。逆に、ここまで映画的質量が大きい作品にも関わらず、物語があるということを祝福すべきではないか。

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クレンスキーが当局に捕まり車に乗せられていく際のクレーン撮影、彼がスターリン邸に出発する際の華麗なカメラワークは、あまりにも美しい。私がこのアレクセイ・ゲルマンという映画作家に、ジャン=リュック・ゴダールとの共通点を見出さずにいられないは、彼の圧倒的な映画的なものへの執着、あるいは感性による。ゲルマンの映画、ゴダールの映画にはそれぞれ、「映画的」なるものが思いつく限り全て含まれている。彼らの映画を見れば、「映画的」なものが何なのか理解できるという点で、小津やオリベイラ、エドワード・ヤンと同じカテゴリーに配置することができるのだ。
ゲルマンが1つの作品を作るのに10年の歳月を必要とするのは無理もないことだ。なぜなら彼は普通なら5つの映画を作ることが出るはずのことを、1つの映画、たった2時間半の1つの映画に仕立て上げてしまっているのだから。

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