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命を繋ぐということ

こんにちは。今日の記事はどちらかというと育児系です。

娘が今月末で1歳を迎えようとしており、10カ月になったころから、表情が豊かになってきた。
ニコニコした表情でこちらを見つめてくれる時は、私の中の母性が湧き上がってくるのが、自分でも分かる。
今朝笑顔を見せてくれた時、ふと誰かの顔が思い浮かんだ。
私の祖父である。笑う顔が祖父に似ているのだ。

祖父は、元気という字を擬人化したような人だった。
バイタリティーに溢れていて、新しいもの好き。義理人情に厚く、困った人を放っておけないタイプ。
子供の頃はそのオーラに少々圧倒される事もあったけど、自慢の祖父である。
青年時代は軍に属していて、特攻隊員として訓練に励んでいた時代もあった。あと戦争が3カ月長引いていたら、私の母も、私も、娘も、この世にはいなかったらしい。
社会に出てからも懸命に働き、定年退職後も、アルバイトやボランティア活動に積極的に取り組んでいた。
健康にも気遣って、運動も欠かさず行っていた。私の中で元気と言えば、一番に出てくるのがおじいちゃんだった。

そんなおじいちゃんが突然亡くなった。私にとっては突然。
なぜなら、私が留学中に亡くなったからだ。
留学に行く直前に挨拶に行ったときは、当時日本で流行り出したiphoneに興味津々で、
「おじいちゃんiphone買うわ」などと話した記憶がある。(当時私もまだ持っていなかった(笑))
留学に行って数カ月経った時、胃がんを患ったとの事。
おじいちゃんの余命が残り少ない事を知らされたのは、亡くなる2日前だった。
遠い国にいる私はなすすべもなく、当時の自分の写真を数枚送って、
「私は元気で頑張ってるから、帰国まで頑張ってと伝えて」とメールする事が精一杯だった。
そしてそのメールを送った次の日に亡くなった。写真は見てくれたとのこと。

当時は本当に信じられなかった。
信じたくなかった、とかではなく、本当に信じられなかった。
あの元気人間のおじいちゃんが病気で死ぬなんて。
しかも自分がいない間に。さようなら、ありがとうも言えぬまま。
意味が分からなかった。帰国後遺影を見ても受け入れられず、今ドッキリでしたーwと、どこからか出てきても、全然受け入れられる状況だった。
余りにショックで、その後7・8年間ぐらいは、定期的に思い出しては泣いて、を繰り返していた。

おじいちゃんの死を目の当たりにした時、ショック・悲しい・なんでという気持ちが99%を占めていた中、1%、歯を食いしばって立っていた私の中の熱血根性野郎がこんなことを言い出した。

「どんな人間でも必ず死ぬことを、おじいちゃんが身をもって教えてくれた。だから命を繋いでいかないといけない。新しい命を」

自分でもなんでこんな考えが浮かんでくるのか、分からなかった。
当時というかずっとやけど、私は母親願望は0だった。(結婚願望も0。)
どちらかというと、当時は自由人で生きていきたいと願っていた自分だけど、この想いは確かに芽生えてきた。一種の使命感のような感じ。
私は思った。私はやっぱりおじいちゃんの孫だ。

あの日から13年。先日のおじいちゃんの法事に娘を連れていく事ができた。

おじいちゃん、今の私はどうですか。
本当は帰国後に、どんな事を経験してきたか・どれだけ英語が上達したか、をいっぱい話したかった。
あんたが留学なんて出来るんか?って心配してたけど、できたで!って言いに行きたかった。
iphoneも一緒に覚えていきたかった。その後も就活がうまくいかない時とか、いつものように𠮟咤激励してほしかった。娘も抱っこしてほしかった。

でもさ、もう大丈夫。おじいちゃんの孫であることを誇りに思って、あの時感じた謎の使命も無事に果たして、今はその命を繋ぐことに毎日尽力してる!
上手くいかない事も多いけど、最後はおじいちゃんの孫だからどうにかなる、という根拠のない自信を頼りに、前を向いていこうと思います。
空から見ていてください。

涙なしでは書けなかったな。まだ駄目なのかもしれない。

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