意識高い系資本主義からの目覚め-インパクト投資と民主主義-
意識高い系資本主義(Woke Capitalism)とは
『WOKE CAPITALISM「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』によれば、"woke"(意識高い系)とは、環境保護、人種的偏見や性差別の撤廃、LGBTQの権利、経済的平等といった進歩的なポリティカル・コレクトネスや社会正義に対して、表向きは意識が高いようなふりをしながら、その実、これらとは矛盾した行動をとる「えせ進歩主義者」を非難する言葉である。企業も公共の利益や社会正義にもっと配慮すべきであるとするのが「意識高い系資本主義」である。
世界経済フォーラムが提案する「ステークホルダー資本主義」はまさにその典型であり、わが国が掲げる「新しい資本主義」もその一つであると捉えることもできるだろう。いずれも行き過ぎた新自由主義によって生まれた格差や気候変動などを是正するために提案されたものである。
本書では、多額(100億ドル)の寄付を行う一方で租税回避を行うアマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏などが例として挙げられ、意識高い系資本主義の矛盾、いや、”経済合理的な”倫理的行動が多く指摘されている。
意識高い系資本主義が民主主義を滅ぼす
本書は、意識高い系資本主義が民主主義を滅ぼすと警告している。
それはなぜか?
「公共の政治的利益がグローバル資本の私的利益によって、ますます支配されるようになってしまう」からだ。
意識高い系資本主義は資本主義体制を弱体化させるのではなく、政治権力のエリートへの集中をより一層強化すると指摘している。
経済エリートがビジネスだけでなく、政治にも権力基盤を移し始めている。
ここで問題となるのが、彼らが民主的なプロセスを経て選ばれた人間ではないということである。
「意識高い系」からの目覚め
こういった意識高い系資本主義への批判とインパクト投資は無関係ではいられない。
資本主義において最も権力を持つのは資本家であり、その資本家の価値観が反映されるのがインパクト投資だともいえる。
インパクト投資において意思決定を行う人々(インパクト投資担当者や投資委員会)は民主的プロセスを経て選ばれた人たちではない。彼らが社会の声を代弁することを期待できるだろうか。
世界のインパクト投資業界を見渡せば、ハーバード、スタンフォード、オックスフォード、ケンブリッジ卒のいわゆるエリートが半数を占める。
彼らは往々にして恵まれた環境に育ち、「差別や不平等」といった社会課題の当事者であることは少ない。「気候変動」の影響も最も受けにくいことが指摘されている。
まず、そのことに自覚的である必要があるだろう。
では、どうすれば良いか
1.インパクト投資を万能視せず、政府やNPOと協働する
本書では「民主政治を再び第一義と見なし、経済を第二義に降格させる必要がある」と説く。
この意見には賛成である。インパクト投資には熱心だが政治には無関心という姿勢は褒められたものではないだろう。インパクト投資は決して万能ではない。インパクト投資が解決し得る社会課題分野、投資できるビジネスモデルには限界があることを理解すべきである。政府やNPOが担うべき役割を過小評価すべきではない。その最適均衡は時代や地域によっても異なるだろう。インパクト投資は魔法の杖ではない。その限界を正しく理解することが重要だ。その上で政府やNPOとの協働を推進すべきだ。つまり、コレクティブインパクトを目指すというのが一つ目の解決策だ。
同時に、「市場」の可能性も信じたい。市場は果たして経済的利益だけを追求する「公正な競技場」なのだろうか。社会的課題の解決や社会的価値の創造といった「社会的インパクト」を市場の共通言語とすることが出来れば、「社会的インパクト」を追求する「公正な競技場」を構築することができるのではないだろうか。市場とは、人々が集まり価値の交換をする場である。ならば、そこで交換される「価値」の定義を変えれば良いのではないか。インパクト会計はまさにここに挑戦している。つまるところ、人間の「道徳感情」(アダムスミス)を信じることができるかという問題ではないか。僕らは所詮「エコノミックアニマル」なのだろうか。
2.投資の意思決定を民主化する
「エリート」とはそもそもラテン語で「選ばれた者」という意味であり、地位や階級ではなく、自分の利害得失と関係なく他人や物事のために尽くせる人を意味している。まずは投資家が謙虚に「無知」であることを自覚し、真摯に社会課題を学び続けることが求められるだろう。
そして、意思決定プロセス、特に意思決定権者の選定を変える必要があるだろう。欧米のインパクト投資ファンドではこの動きが顕著だ。白人エリート男性の多いインパクト投資業界だが、人種やジェンダーの多様性、障害者や貧困家庭出身者など、マイノリティーや当事者(people with lived experience)を意思決定プロセスに組み込むという実務が広がっている。こういった実務を日本も参考にできるだろう。
その上で、意思決定プロセスや意思決定結果等を透明性高く開示することも求められる。
さらに重要なことは、インパクト投資の資金源(LP)だ。特定の企業の非倫理的ビジネスの隠れ蓑になってはいけない。本書が指摘するように「右手で慈善事業に何十億も与える一方で、左手で民主主義と平等という希望を奪う」ことになっていないか。インパクト投資家は自らに問い直す必要があるだろう。
インパクト投資を一部のエリートの自己実現、承認欲求の道具にとどめていてはいけない。より多くの人々がインパクト投資を行うことができるようにしていくことも重要だろう。誰もがインパクト投資家になる未来。その際、資本の量によらず、社会的マイノリティの議決権の調整を行えるようにすれば民主的なインパクト投資というものが実現できるのではないだろうか。
インパクト投資業界はこの10年で「インパクト投資は機能するか?」という問いと向き合ってきた。それは、主に社会的リターンと財務リターンの両立は可能か?ということである。その答えはもう出ている。
次の10年で向き合うべき問いは「インパクト投資は社会を構造的に良くすることができるか?」である。ぜひ皆さんと一緒に歩みを進めていきたい。
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