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船に乗った話〜大遅刻Part2〜

Part2に続くと言いながら3年も開けるでない。そんなわけでPart1【https://note.com/imp_rhaozume/n/naea9a35f7d40】から話は続きます

【名古屋旅】(2021/10/29)
 さて、名古屋港に降り立ち、次に行く場所はリニア・鉄道館。タクシーに乗り数分で到着。金曜日というのもあり人も少なく、新幹線シミュレーターも余裕で体験できました。

 詳しくは省きますが、予定滞在時間をオーバーしてでもじっくり見学した甲斐があり、JR東海の本気度を感じた場所でした。ちなみに今回の旅で観光らしい観光をできるのはここだけ、と決めていたのでお土産も相当数買い込み。昼食休憩も兼ねて3時間30分じっくり見回りました。

 さて、次の旅程に行くべくあおなみ線で名古屋へ移動し、予定より早めに近鉄線へ。次の目的は近鉄特急ひのとり。しかも最前展望のプレミアムシートを押さえておきました。

 時間まではホームで近鉄の列車を眺めつつ、ファミマでポケカ(この時は25th発売直後、北海道でなかなか見つけられなかった)を見つけて計6pk購入しウキウキでひのとりを待機。

 15時50分過ぎに入線、撮影を終えひのとりは16時ちょうどに名古屋を発ちました。西に向かう列車とあって日差しがきつかった。ですがコーヒーを飲みつつ、E5H5系のグランクラスと見まごうバックシェル付きのプレミアムシートは快適でした。津で運転士交代し、女性の方だったのは「はえー」ってなった。あ、そういえば某YouTuberさんの看板もしっかり見てきました。


 青山トンネルを抜け関西へ、スピードメーター起動したら115km/hで走るなど快走を続けたひのとりは鶴橋で焼肉の匂いを感じつつ、定刻に大阪難波へ到着しました。まあしかし旅情も感じさせずさっさと引き上げていったし、1〜2分停車で回送発車していったのはいささか余裕がなさすぎでは?と思ったけど帰宅ラッシュ真っ只中の18時すぎだしまぁまぁ、って感じ

 さて、ここから三宮へ向かうべく快速急行に乗りました。待ってる途中ぜかましが来たりしてテンション上がってた。金曜日ということでまあまあ混んでましたが、約40分の乗車を終え無事に三宮到着。

(さて、ここまでしか書き溜めしてなかったのでここからは2024年執筆分になります)

 関西に来る時、修学旅行や仕事の出張も含めよく神戸空港を利用することが多かったので三宮は割と慣れた場所でした。先にバスターミナルの場所を確認したのち、先の太平洋フェリーで準備が大事とわかっていたので、地下にある食品街で再び魚の缶詰を含んだ食糧を準備しました。

 19時50分頃に京都交通の舞鶴フェリーターミナル行きバスが到着し乗車。20時の定刻に発車し、高速道路を走ります。確か新神戸トンネルを抜けていった記憶がある……。

 21時27分。舞鶴西ICを降り、西舞鶴駅、東舞鶴駅を経由します。確か後ろにめっちゃおふねの話をしているおじさんがいて「おぉ……」となっていました。

 22時02分。舞鶴フェリーターミナルに到着。この時はコロナ真っ盛りでワクチン2回目接種の証明書を提示すると船内で使えるクーポンがもらえる、ということでこのために持ってきていました。食事代いくらかペイできるしね。

 23時15分頃に乗船開始。この日は自衛隊も乗船される日だったようで、部屋向かいの寝台室が貸切になっていたなと。この日のフェリーはあかしあでした。残念ながら寝台の写真は撮り忘れていた。

 少し遅れた23時59分頃に舞鶴港を出航。10時30分に名古屋港についてからわずか14時間ほどの本州滞在でした。

 船中はほぼ電波が来なかったため、ただのんびり写真を撮り、船内を探検し、お風呂に入り、アドバンスSPをしたり、ここまで買ってきたポケカを開封したりしてました。25thのなみのりピカチュウのイラスト懐かしすぎ。

 高速船ということで横のデッキには出られず後部甲板で外に出て流れる海を眺めていました。しかしまあ速いこと速いこと。そりゃあ小樽まで1日かからないんだもの……。

 13時45分頃に北海道は松前沖に到達、15時24分頃に電波が入り、Googleマップを開くとすでに奥尻島に到達していました。

 18時に船内レストランで夕飯。1000円クーポンをここで一気に消費し、オリジナルカレー、ビーフシチュー、唐揚げを注文しました。おいしかった。

 あとは電波が入ったり入らなかったりを繰り返しながら、18時30分に神恵内村沖、19時47分に余市沖。そしていよいよ20時10分に小樽沖に到達。最後は後部甲板に出て接岸こ様子を眺めながら、20時40分すぎに小樽港に到着。まずは船旅が無事に終わりました。


 小樽港にはこの当時まだ就航したばかりの東京九州フェリーのトラックがいたり。

 連絡バスを待つより歩くほうがいいかな、と下船後の20時50分すぎから徒歩を開始、小樽築港21時43分発が予定でしたが、もう1本前、21時21分発を目指して歩きました。結果は発車3分前くらいに到着。そのまま札幌を目指しました。

 この日は実家には寄らず札幌の東横泊。当時U35割をやってて1泊2000円で泊まれました。旅のゴールを記念して?長旅のパートナーだった海美とコーラで乾杯。

 翌日は実家に寄りお土産を置きに行くのと、たまたま前日から実家に遊びに来ていた姪甥の顔を見てから11時前の北斗10号で新函館北斗へ。知人が新函館北斗駅でイベントに出ていたそうで、時間潰しにその様子を見たのち16時前に家に戻ったのでした。

 どうやらその後帰宅してすぐに冬タイヤに交換していたらしい……。

【感想】
 感想を書いているのが2024年になるんですが、この旅はかなり印象深くて今でもいろいろ記憶があります。コロナ禍での旅だった、というのもあるのでしょうが。
 今回、死ぬほどフェリーに乗りたい、がコンセプトでしたが、乗ってしまえば到着まであっという間でした。行きの太平洋フェリー39時間30分ですら気づいたら名古屋だった、というレベルでした。船中はゲーム(アドバンスSP)したりスマホゲーしたり、電波がなくなったらSS書いたり、太平洋フェリーは甲板に出られたので流れる景色を眺めながら気ままに過ごしてたなと。帰りの新日本海はほとんど電波が入らなかったですが、21時間なんてあっという間だなー、と思った旅でした。いつかは新日本海フェリーで焼肉やりたいね…。

 そんなこんなで以上です。また限界おふね旅やりたいですね。次は商船三井からの東京九州フェリー?なんてね。

 それでは。

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