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「お姉ちゃんなんだから」と言われていたら

モモちゃんとヘルパーさんと私で、
阪神甲子園駅まで電車で行った。
駅前のコンビニで、
モモちゃんが「コロッケほしい」というので、
レジ前まで行ったら、モモちゃんが突然、
「アメリカンドッグもほしい」と言い始めた。

食べ過ぎを恐れた私が知らん顔して
「アメリカンドッグはないみたい」
と即答したら、
店員さんが口をパクパクさせながら、
オーバーアクションで、
ショーケースのアメリカンドッグを指さしはじめた。
外国人の店員さんだった。
びっくりさせちゃった。
ごめんなさいね。

私は無表情で「コロッケ1つください」と言った。

私は親から
「お姉ちゃんなんだから」と言われた記憶がない。

「お姉ちゃんなんだから、ガマンしなさい」
「お姉ちゃんなんだから、ゆずってやって」
「お姉ちゃんなんだから、面倒みてやって」

今から考えれば、
両親は「あえて」言わなかったのだろうと思う。

まわりの友だちは
「お姉ちゃんなんだから」と言われていたようだし、
まわりの大人は私に対して
「お姉ちゃんなんだから、しっかりしないとね」
なんてことを言っていた気がするけど、
私の親はたぶん相談しあって、
「そういうことは、言わないでおこう」と
決めていたのではないかなと思う。

「勉強しなさい」と言われたら
好きな科目でもイヤになってしまうように、
「お姉ちゃんなんだから、面倒みなさい」などと言われたら、
モモちゃんのことをイヤになっていたかもしれない。

ずいぶんいろいろと積み重ねて、
今はやっとこさ、
モモちゃんと一緒に暮らしているわけだけど、
もし両親から、
「お姉ちゃんなんだから、モモコの面倒みてやって」
なんて言われていたとしたら、
努力できたかどうか、自信がない。

自分のきょうだいは、
大人になっても一人では暮らせない人だ、
親がいなくなったら、
親にかわる誰かがお世話しないと生きていけない、
そう気づいたとき、
「私は、お世話しない」というのも、
一つの選択肢だろうとは思う。

自分でよく考えて「やらない」と決めるのは、
それはそれでエネルギーがいることだけど、
大切なことだと思う。
たとえば
「ずるずると関わったら、共倒れだ」
なんていう不安が大きかったりすると、
本当に共倒れしちゃうかもしれない。
今は福祉も以前よりずっと充実しているのだから、
別々の道だって選べる。
共倒れしちゃうリスクは避けていいと思う。

関わるにしても、
関わらないにしても、
「お姉ちゃんなんだから、しなさい」などと言われることなく、
親から「決められる」のではなくて、
自分自身で「する」「しない」と決める、
そのほうが、
時間はかかっても、
いい道を選べるんじゃないかなと思う。

私は自分の子どもにも
「お兄ちゃんなんだから」と言わないように気をつけた。

親から言われていやいやするのではなくて、
自分が弟と遊びたいときは遊ぶし、
イヤだと思ったら遊ばない。

そうしているうちに、
両親がどうして私に
「お姉ちゃんなんだから、しなさい」などと言わなかったのか、
なんとなく、わかってきた気がした。

親から何も言われないほうがラクだし、
仲たがいする必要もない。

コロッケを買ってコンビニを出たあと
あの店員さんは
「あれって、虐待の一種なんじゃないの?
車椅子に乗っていて、
ショーケースがよく見えない子(モモちゃん)をだますなんて」
などと、言いふらしていたかもしれない。

子どものころは、
「いいお姉ちゃん」に見えるかどうか、
多少は気にしていたかもしれないけど、
今はどう見えても気にならない。

モモちゃんの糖尿病と高コレステロールが、
これ以上進むことなく、
つらい治療など受けずにすむように…

そのための努力は
自分だけがわかっていることで、
誰に言われたことでもない。

モモちゃんに対して、じぶんがどうするか。
親に言われたからじゃなくて、
じぶんで考えて、何をすればいいか。

そういうふうに生きてこれたのは、
よかったなと思う。

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