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ああ、どうしようヒロシマ

昨日、ふと思いついて、
モモちゃんに問いかけてみた。

「モモちゃん、明日は何の日?」

モモちゃんは即答した。
「カラオケ!!!」

そのとおり。

モモちゃん自身の日にち指定で、
8/6はカラオケの予約をしていた。

私が「そうね、カラオケ、楽しみやね。
8/6は、
ほかにも何かの日じゃなかった?」と尋ねると、
モモちゃんは「わからない」と言った。

私が「広島にゲンバクが落とされた日だったね」
と言うと、
モモちゃんは
すごくわかりやすくガーンという顔をした。

広島生まれ広島育ちの子は、
8/6に敏感に反応する。
どこにいても、それは同じ。
広島生まれ広島育ちの子は、
ヒロシマに故郷という以上の感情をもつ。
「いつも見ていたヒロシマ」という歌があるくらいだ。

モモちゃんは「ゲンバク」と言って、
それからというもの、
1時間おきに
「ゲンバクです」「ゲンバクだから」「明日はゲンバクよ」
などと言うようになってしまった。
私が想定した以上に、
ショックが大きかったようだ。

私とモモちゃんは
広島生まれ広島育ちの被爆二世だ。

父は生涯、
その日歩いて横断した爆心地の地獄が
頭から離れなかった。

母の兄はその日、爆心地にいて亡くなった。
私たち家族にとって、
8/6はとくべつな日だった。

母が生きていたころ、
モモちゃんはもっと
8/6を意識していたのではないかと思う。
広島に住んでいたころはよけい、
親戚も近くいたし、
ヘルパーさんも話題にしたにちがいなかった。

私のすむ兵庫県に引っ越してきて、
そして母が亡くなって1年半が過ぎて、
モモちゃんの中で、
ヒロシマは遠くなった。
8/6を忘れるくらい、
ヒロシマは遠くなった。
今の家に馴染んだ証でもあるので、
私は喜ばしいことかも…と思った。

でもモモちゃんは、
自分が忘れていたことに
ショックを受けたようだ。
今日8/6も
朝一番から「今日はゲンバクよ」
「もう少ししたらゲンバクよ」と何度も何度も言った。

私とモモちゃんは幼いころから、
8/6に母が泣く姿を見てきた。
私たちにとって
8/6は母が泣く日だった。

母は普段から、
自分自身の悲しみや悔しさや嘆きから、
毎日のように泣いている人だったけれど、
8/6の母は少しちがった。
何もしていないのに、
ただそこに暮らしていただけなのに、
無惨に命を奪われた膨大な数の人のために泣いた。

モモちゃんの気持ちは、
たぶんこんな感じだろうと思う。

「私はおとうさんやおかあさんから、
8/6に広島で何があったか、
たくさん聞いて育ったのに、
今年はすっかり忘れていました。
おとうさんやおかあさんから教わった、
あの大事なことを
私はすっかり忘れていました。
どうしましょう」

モモちゃんはそれでいいんだ。
モモちゃんは、
自分自身の心のキズを治すほうが先なんだよ。
8/6のヒロシマついては、
話題にしたら思い出すんだから、
それで十分なんだよ。

自分自身の力で、
何かができる人も世界にたくさんいるはずだけど、
できるのに、
何もしない人がたくさんいる。

モモちゃんの心のキズが治ってきたら、
そろそろお姉ちゃんも、
「何もしない人」から
卒業しないといけないと思っているとこだよ。

みんなが真剣になって何かをしても、
それでも解決しないかもしれないけど、
「どうせダメ」と思って何もしないよりも、
何かしたほうが絶対にいいと思う。

モモちゃんは見守っていてよね。

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