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ボロボロに朽ちていっても

テーブルを拭くのに毎日使っている
フキンがボロボロになった。

毎日使っているのに、
フキンのへたり具合には、
なかなか気づかない。
表面が破けたのを見て、
「ありゃあ、限界かな、これ」と、
次のフキンを出してくる。

ボロボロのフキンを洗ってから
写真を撮ってみた。
画像で見ると、なかなかヒドイ。
これまでヒドイ写真をいっぱいアップしてきたけど、
これはヒドすぎると思ってやめた。
だからといって、
新品のおろしたてを撮影する気にもなれない。

高齢者と呼ばれる世代が、
とっても多くなっているらしい。
私も近いうちに仲間入りする、はず。

多くの人は、
「たくさん働いてきたんだから、
高齢になったら、ゆっくりしたい」と
考えているみたいだ。

高齢になった人のなかには、
「ついに高齢になってしまった」と、
がっかりしている人もいるみたいだ。

うちのじいちゃんたちは、まあまあ長生きだった。
母方のじいちゃんは、
高齢と呼ばれるころまで、妻の介護をしながら、
農作物をつくっていた。
いろいろあったとは思うけど、
高齢と呼ばれるころまで、
自分の「使命」をまっとうする姿は、
素敵だと思った。
父方のじいちゃんは、
認知症で徘徊していた最期のほうまで、
「まわりに愛されて、ワシって幸せ!」
と信じて疑わなかったと思う。
幸せ者だ。

母方のばあちゃんは、
「夫に介護されてしあわせ」と
周囲には思われていただろうけど、
高齢になる前に、
寝たきりになりたくはなかっただろう。
父方のばあちゃんも、
高齢になる前に、がんでこの世を去った。
モモちゃんは、
どちらのばあちゃんのことも知らない。

私と家族くんは
ボロボロに朽ちてから、
この世を去りたいと思う派だ。

家族くんが
「できるだけ長く仕事したい」と思うのも、
老後資金のこととかが、
頭をよぎるからもあると思うけど、
そっちより、
仕事してないと、
もはや自分が誰なのかわからない、
「自分と仕事はワンセット」になっていて、
仕事をやめるのが怖いのだと思う。

私のほうも、
「モモちゃんを先に送ることができたら、
その後の私の人生はオマケだから、よろしく」
と宣言している。

小学生のころから、
「私がモモちゃんを守る」と思ってきて、
それがオシマイになる日が来たら、
「私って、誰だったかしら」となってしまいそう。

ボロボロになったフキンは、
乾かしてから小さくカットして、
小さな雑巾にして使い切って、
サヨナラしている。

ボロボロに朽ちるなんて、
イヤだなあと思うんじゃなくて、
ボロボロに朽ちるまで
生きられたとしたらラッキー、
ついでにモモちゃんを先に送れたら、
思い残すこともない。

おっと、
ゆうべから歯がしくしくと痛んで、
大慌てで歯医者に予約を入れた。

たまに体調がよくないと、
神経が土管でブルドーザーな私も
こんなふうに、しみじみしてしまう。

しみじみしながら、
少しずつボロボロに朽ちてくんだろうな。

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