ゲーム制作者がTwitterをやめたら終わり
早朝5時――。
「ゲーム制作に集中するため、Twitterを1年辞める」というDMが届いた。
わたくし妹尾まいはその「1年」という月日の長さに失礼ながら寝起きの頭が覚醒するぐらい笑ってしまった。
そんなことをする意味が無さ過ぎるからだ。
その後、そんなことをしても意味がない、あなたが1年Twitterやめるなら自分だって1年Twitterをやめてやる、などと言って様子を伺ってみたのだが、彼の決意は固そうなのでnoteでもう一度「ゲーム制作」というものの本質について語りたいと思う。
Twitterは時間の無駄ではない
少し前「作品」だけ評価されて「作者」が評価されない状態」という記事を書いた。
世の中には2種類の評価があり、「作品だけ評価される人」と「作品と作者の人格セット」で評価されることがあるという話。
そして3つ目。作品を完成させたことのない人は、作品よりもまず作者としてどういう人物かで評価される。
だというのにTwitterを辞めるということは作者評価を捨てることとほぼ同義である。
これはフリーゲーム作者よりもお金のかかる同人ゲーム作者で多い傾向があって、
作品のクオリティばかりに気を取られ、いざ作品は完成したけどTwitterに宣伝してくれる人がいなくて思っている以上に作品の認知度が広がらない、モチベが落ちて2作目以降はない。みたいな流れ。
ゲームは他の媒体と違い入口がとても狭い。
サイトに行き、あらすじを読み、絵柄を吟味し、DLして、さらに解凍までしてようやくゲームを始めることが出来る。
そんな面倒な工程を信用も評価もない1作目からやってくれる人など、作者を好きな人ぐらいしかいないだろう。
ゲーム制作者が1年もTwitterを辞めたらそういう人たちが減るという最大のデメリットがあり、リスクリターンにまったく見合わない。
結論を言えばゲームの完成なんて5年でも10年でも遅くていいのである。そんなことよりももっと大事なことがあるはずだ。
個人制作は狂ってないと出来ない
個人制作は全てを自分の力でやるわけなので当然クオリティは落ちる。
クオリティが落ちるので他人と比較する癖がついてしまう。感情の浮き沈みもチームでやっている人たちよりも激しいだろう。
しかしそこでTwitterを辞めてしまうようなら、いっそゲーム制作を辞めてしまったほうが健康的なのだ。
自分で作るのを辞めて、他人に作らせるほうがずっと良い。
実際普通の人は「絵はそんなにうまくないから神絵師を雇おう」と無難な道を行く。
しかしそれでも個人制作、全てを自分でやることにこだわれるのは狂っているか、自分にしかこれは表現できない、ということに酔ったナルシストだけ。
狂人にもナルシストにもなれないのなら個人制作はオススメしない。
よく登山で例えられる「ゲーム制作」がつらくないわけがないから。
基本、つらいものなのだ。
なので登山家もよく頭がおかしいと言われている。
そして彼らは誰よりもナルシストだから「もっと高い山」に挑戦できる。
自分は出来るんだ。自分にしか表現できないんだ、という酔いから覚めて冷静になった人間にゲーム制作なんて到底できるもんではない。
メンタルが崩れている時は、たいていナルシストモードが解けている時なので、ゲームの完成やクオリティなんか二の次で、ひたすら自己肯定感を高める努力をすべきなのだ。
自己肯定感を高めるには?
まず自己肯定感の否定につながっているTwitterをやめるというのはあながち間違いではない。
しかし1年なんて言ってしまうのは甘えだ。もし本気でゲームを完成させたいならそんな長いスパンで物事は考えない。
とりあえず心の余裕を長く持ちたいという気持ちの表れが1年。
ゲームを完成させたいという気持ちで出た1年ではない。
ただ1週間だと親しい人間に報告するまでもない、1ヶ月だと中途半端。1年なら「えぇ!? そんな! 〇〇さん、やめないで!」と思ってもらえる。
つまりこれ自体も自己肯定感を高めたり、承認欲求を満たすための行為そのものなのだ。
いわゆる女子高生のTwitterやめるやめる詐欺のそれである。
このやり方で自己肯定感を高めることにハマってしまうと、周りから彼が鬱陶しい人間だと思われかねないので、辞めたほうがいいとここに書いておく。
ではどうすればいいのか。
人間関係の範囲を絞るのだ。
浅く広く人間関係を持つ人というのはメンタルを崩しやすい。
親しい人間が増えれば増えるだけ「この人には負けたくない」という気持ちの範囲が広がっていくからだ。同じ土俵に立っていると思う相手が増えることはメンタルに強く影響する。
なので興味を持たない他人を意図的に増やすことで自己肯定感は自然と高まっていく。
これは先ほどの作者評価をあげるための交流と矛盾するが、メンタルに支障をきたすぐらいなら広く浅くよりも、狭く深い人間関係を選択したほうが1年Twitterを辞めるよりかははるかに合理的だろう。
最後に
おそらくDMを送ってきた彼はこんな記事を出されるとは夢にも思っていなかっただろう。そこそこに親しいはずなのでnoteでもネタにさせてもらった。
させてもらったし、こんなことはお互いに一定の好感度があれば「ゲーム制作のために1年Twitterやめる? いや……アホやん」と引き留めるのは当然のことだ。
もしこれがyoutubのドッキリ企画なら即効でバレて企画倒れになっている。
なので改めてこの記事を通して聞きたい。
Twitterを1年辞めるなんて馬鹿な真似はやめるんだ。
でないとこの発言が現実のものになってしまう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?