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面白い作品には変化がある~その1~

 感情移入については別の記事でも書かせてもらってますが、その掘り下げをここでもしたいと思います。

 特に最近よく思うのは、話を書くのが上手い作者ほど、

「嫌いだったキャラクターを好きにさせてくる」ということでした。

 変化というのは何も物語中のキャラが成長するだけでなく、それによってプレイしている側の印象がどう変わるかでもあります。


 先日プレイしたフリーゲーム『僕らのノベルゲーム』でもそれを感じたので、取り上げさせてもらいます。

 前置きした通り、主人公の友人ポジションである『タツ』のことが最初はあまり好きにはなれない、苦手なノリのキャラクターでした。

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 彼は器用でなんでも出来て人望もありムードメーカー、ですが欠点として『大雑把』『楽観的』『責任感がない(なさそう)』などの事からメンバーを困らせる場面も。

 そんな彼がゲーム制作をしようと言いだします。

 外面的に見れば良いところのほうが目立ちますが、ことゲーム制作を目標とした時に彼の性格というのはかなり危うい。

 実にトラブルメーカーとして機能しそうなキャラなんです。

 ちなみに自分も合同ゲーム制作をしたことがありますが、「責任感がない」「自分さえよければいい」「楽観的」だった人とは合いませんでしたし、今では疎遠になってしまいました。

 では、この『タツ』というキャラクターを好きになった過程を説明します

(※ネタバレ含みます)

 まず自分自身が発案したゲーム制作に対して、彼はとある出来事からショックでシナリオが書けなくなります。

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 締め切りも近い中、ゲーム制作にかなりの熱が入っている主人公はそれに対して超激怒。

「自分で言いだしたことなのに無責任だ!」

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 ここらへんのシーンは主人公も年相応の幼さがあり、

 言ってしまえば「精神的な幼さから繰り出されるシリアス」です。

 ですが、主人公の言い分が「正論」なので、一方的に友達を責めることに正当性があるんですよね。(のちにその制裁をゲーム制作中止という形で受けます)

 対して責められているタツの方は、反省の色が見えない(ように描かれています)

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 しょっぱなからバチバチと派手な言い合いになるわけではなく、少し軽いイメージを受けるタツの対応。

 反省してないように見せかけることによって、一方的に主人公だけが悪者に見えないような構図(やっぱりタツが悪いんだ、と)

 さらに主人公はタツの事を責めます。

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 ここは、かなり必要なシリアスシーンでした。

 なぜならこのシーンで、プレイヤーも「このキャラクターは無責任だ」という意識が完全に植え付けられてしまうからです。

 主人公が責めなくても無責任だったのに、さらに植え付けられました。

 こいつではダメだと。

 プレイしている時は「主人公の責め苦に何も反応しないし、なに考えてるんだろう?」みたいな得体の知れなささえあったタツの心情。

 さて、ここからが本題です。

 ここまでの解説がすでに「フリ」になってると思いますが、お察しの通りこのタツというキャラクターは最終的には「ちゃんとシナリオを書いていた」という事実がゲーム制作締め切りギリギリになってわかります。

 あれだけ無責任の印象を植え付けておいて、彼は裏でやることをやっていたんです。

 その結果ゲーム制作は締め切りに間に合います。

 で、このシーン。本当にサラっとしか描写されないのが上手いんですよね。わざわざタツの視点になったりせずに、2,3行の文章でさりげなく書かれるんですよ。

 その絶妙な情報量の無さが、

「あれだけ責められても裏で書いていたんだろうな」

「書けないって言い張ってたのは主人公に期待させてまた裏切るのが怖かったんだろうな」

「タツだって言いたくても言えないことがあるんだろうな」

 と、タツというキャラクターの裏側を一瞬で想像させたんです。

 多分、この記事を読んでいる人は「それって凄いことなの?」「伏線なの?」ってあんまり実感はないと思います。

 もしかしたら作者の人も「いや、面倒だから書いてない」だけかもしれません。

 ですが自分には巧みなキャラクターの印象操作にしか見えませんでした。

 「こう思っていたのに、実はこうだった」という基本的などんでん返し。謎だけが伏線ではないですし、オチで驚くことがどんでん返しではありません。

 あれだけ主人公に責められて、ゲーム制作にも外れ、主人公と絶交さえしたのに、それでも誰にも知られずに裏でシナリオに対して向き合っていた。という事実がキャラを好きにさせるのには十分すぎました。

 あんまり拡大解釈すると千代ちゃんが出現するかもですが、

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 そういう解釈が出来るようにも書かれている、ともいえるので書いている人がどう考えていようと作品の伝わり方は違ってきます。

 聡い人なら「いやどうせ裏で書いてるだろう」「やっぱりな」になるかもしれませんし。

 でも、この『僕らのノベルゲーム』は記事にしたいと思えるほどのゲームだったのは間違いありません。自分は脚本勉強中の身ですが、随所に「細かなテクニック」的なものを感じました。

 面白い、という感想はもちろんのこと、同時に「上手いなあ」と思う部分もたくさんあったので。

 長くなってしまったので今回の記事はこのへんにしたいと思います。

 参考になったと思ったら次の「面白い作品には変化がある~その2~」も読んでみてください。次は宝石の国という商業作品を例に書いていきます。

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