世界は贈与でできている

世界は贈与でできている。
それってどういうことなのか。

僕たちは、いつも、どこでも誰かの功績ややってきた礎の上に生きているということだ。
しかもそれも、先に贈与をくれた人たちは見ず知らずの僕たちに届けてくれている。
いや、厳密には「どこかの誰かに届けばいいな」が僕のところに来ただけなんだが。

でも、これを感じられる心って相当に豊かなことだと僕は思う。

同じものを見て、同じ経験をしてもきっと感じる人によって意味も価値も大きく変わる。
「自分はどれだけ恵まれているのか?」
「自分には何があるのか?」

こういった問いを真剣に考えることができるのは、とても恵まれていることだと思う。

□今までの自分の傲慢さ

今まで自分はタネノチカラという大きな大義名分を掲げた組織に所属していたが、どこか自分が地に足のついていない感覚があった。
VISIONに共感し、ともに目指す豊かな社会のために意志をもって行動し始めたはずが、気づいたら組織に所属しているという安堵感が心地よくなり、考えることをやめて溢れかえる情報を迎合しているだけだった。

これに気づけたのは、社会人3年目になったということでチャレンジしてみた研修会担当の結果である。

自分では簡単に話せると思ってた。
と、言いたいところだが、本当はずっと隠し持っていた違和感が今回膿になって吹き出しただけだ。

今までも自分たちの取り組みや意義を社外に向けて、それも自分の口で発信する機会は何度か設けられていた。
でもその度に、自分が心から会社のVISONを理解しそれに基づいて行動しているわけではないという後ろめたさがあったから、逃げてきてしまった。
それがこの度ついに露呈しただけであって、決して偶然起きた問題でないことは自分が一番理解していた。

だから今回こそは心から腹を括り、すぐに逃げたくなる自分に鞭をうち、退路をたった上で行動しようとしている。

今社会人となって学校で習ったような勉強よりもはるかに難しい問題や課題に向き合っているからこそ、もっと準備して、イメージを膨らませて取り組む必要があると心底感じているのが今週の僕だ。

もちろん他にやりたいことはあるし、怖い思いをしたくはない。
でも、明確に直感として今のこの状況から逃げることは絶対に後悔すると感じ取っている。


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