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もう二度と食べられない唐揚げ。

はーい、無類の鶏肉好き、いもねこたぬきでございますよ。
なかでも一番好きなのは、唐揚げでございます。
ムネよりもモモのほうが好みです。

母ちゃんのこさえてくれるモモの唐揚げも、手羽元(当初手羽中と書きましたが、手羽元の間違いでした💦)を使ったチューリップの唐揚げも大好きですが。
もう二度と食べられないけれど、もう1回食べたいのは、今は亡き元義母が作ってくれる唐揚げ。

20代前半ギリギリで結婚しましてね。
いきなり元夫の両親と同居。
義両親は昭和一桁生まれ。
一緒に出かければ、親子じゃなく、よく祖父母に間違えられましたね。
んなもんで、基本的に食の好みが合わないわけです。
「ボケるから家事を取り上げないで」
との義母の言葉を真に受けて、義母の作るご飯を食べる日々。
そして長年共働きだった義母は、ご自身でおっしゃるほど「料理が得意でない、好きでない」そうで。
最初は柔らかいご飯も、出汁の味がしないお味噌汁も、辛さしか感じられないカレーも、にこにこ笑って食べるのはまさに苦行。
今思えば、あの徹底した薄味も、義父の身体のことを考えてこそだったのだろうけれど。
当時はお家でご飯がものすごく辛かったなー。
なんてバチ当たりな嫁だったんだろ。

それでもね、義母の炊いてくれるたけんこご飯と、おいなりさんと唐揚げは本当に美味しかったんです。 
おいなりさんは市販の煮てあるおあげにすし太郎混ぜたご飯詰めるだけだったんですけど。

唐揚げはモモ肉でね。1個がやったらとおっきいの。
醤油ベースに生姜とにんにくがたっぷり。
でっかい鍋使って味染み込ませてあってね。

あたしがちょっと落ち込んでたり、体調崩したりすると、
「たぬきちゃん、今日は唐揚げにしよ」って大量に揚げてくれるわけです。
それこそジジババと若夫婦(って元夫はすでに中年に片足突っ込んでたな)4人、もしくはチビだったお嬢入れても5人じゃ食べきれない量を。

元夫も義父も、口数の多い人ではなかったし、美味しいとか、感想とかを言うタイプの人ではなかったから、あたしが美味しい、美味しいと食べるのを観るのが嬉しかったんだと。

そんな義母が突然入院して、息をひきとる前日。 
まさかこれが義母と話せる最後だなんて、これっぽっちも想像していなかったあたしは、
「ばーちゃん、早く元気になって帰ってきて、唐揚げ作ってね」
とベッドに横たわり点滴につながれた義母にお願いしました。
うんうん、と笑顔でうなづいてくれた義母の顔を干支が一回りしてしまった今でも、昨日の事のように思い出します。

「ばーちゃん唐揚げ作るから、ママまたグラタン作ってね」

たまにしか台所に立たないダメな嫁をそうやって最後まで持ち上げてくれた義母。
あたしの作るグラタンなんて、グラタンの素使ったチョー手抜きなヤツなのに。
「ママはハイカラな美味しいの作ってくれるから」
って。
「んなもん、もう見るのもイヤってくらい作るから!明日また仕事終わったら来るからね」
そう約束したのに。

次の日、義母はあたしが着くのを待たず、ひとりで天へと旅立ちました。

それまで揚げ物は油はねが怖くて出来なかったけれど、何度も何度も練習してそれなりに美味しい唐揚げは揚げられるようにはなったけれど。
やっぱりやさぐれた心をほぐしてくれた、義母の唐揚げには全くかなわないのです。

ねー、ばーちゃん。
いつかあたしもそっちにいったら、もう戸籍上は貴女のムスメでもなんでもないけど、唐揚げこさえてくれるかな?
あの頃の恨みつらみ、何でも聞くから。
ほんとにダメな嫁だったよね。
でもね、今でもちょっと落ち込んだりして唐揚げ食べたくなった時は、ばーちゃんの唐揚げ、思い出すんだよ。

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