心療内科の思い出と自己回復

【編集記録】
2月9日…一部表現を修正


この切り抜きを見た。
(人様の動画を記事に埋め込んでいいのかわからなかったのでURLそのままですが、普通のVTuber切り抜きチャンネルに飛びますのでご安心ください)

https://youtu.be/M_rFvmk52Rc?si=TFLcg0buvml5YyD5

要約すると、某有名VTuberさんの元に「責められているような感情が生まれ、あなたのことを純粋に推せているのか自信がない。あなたの発言は自分以外のファンに対して言っていることのように感じる」というメッセージが届き、
VTuber本人が「人の言葉に重要性を感じないで、深読みをしないこと。自信をもって推しなさい」そして「このような状態になっているのなら、メンタルヘルスへ行きなさい。メンクリ(メンタルクリニック)は合う合わないが大きいし、予約から実際の診察までに時間がかかるので早めに行動しなさい」と返すという流れ。


今の自分に刺さる話だった。メッセージの送り主に対しても「別の世界線の自分」のように気持ちがわかるし、条件が違ったら自分も同じ行動をしていたように思う。
わたしも自信の無さから事実の深読み(という名の曲解)をしてしまい、非実在キャラクターに対して「自分さえいなければキャラにもっとたくさんの良いことが起こっていたのではないか。自分という醜いファンの存在が作中でのキャラの道を閉ざしたのではないか」と思ったことが何度もあるし、こうやって文字に起こすと妄想甚だしくて笑いものだが、正直今でも理性で「そんなことはない」を言い聞かせている状態だ。

でも今回書きたいのは「推し活への不安」ではなくて、「メンクリ」の話。




2~3年くらい前だと思う。人生で2件目の心療内科に通い、2万円かけて人生二度目の『軽度ADHD』の診断をもらい(一度目の精神科では軽い面談のみで「軽度ADHDの可能性は高いと思います」と言われたので確信が持てなかった)、
そこでお医者さんに「通院はどうします? 困ってないなら…」と言われて「困ってないので大丈夫です」と答えて終了した日のことを思い出した。

どの道、この感じならばこの病院に通わなくて正解ではあったんだろう。それはお医者さんのせいというより、動画でも言われている"合う・合わない"の話だと思う。

しかし問題点がある。お医者さんに「困ってないなら」と言われた時に、

「わたしは誰を困らせたんだろう。就職してないから他人を困らせてないし、上司兼身内である両親(わたしは両親と自分の3人だけで回している会社に勤めています)は当然家族のわたしへの許せる尺度はかなり広くて、だから誰も困らせてないじゃないか。
わたしはミスが多いし、何よりフラッシュバックとそれに伴って自分を責める独り言が多い。しかし他人は誰も実害を被っていない。自分としては定期的に災害のようにネガティブな感情に襲われており、"安定"や"希望をもって生きる"から遠い状態なので困っている訳だが、自分の中から生まれた「困る」はメンヘラの拡大解釈かも知れずシュレーディンガーの猫状態だ。
わたしは意欲的に風呂に入れているし、ご飯を食べたら美味しくて嬉しい気持ちになるし、絵を描いたり鼻歌を歌ったり家族と楽しい会話をしながら生きている。うつ病の症状には当てはまらない。ただ独り言とフラッシュバックの瞬間があって、経験の無さ故に大人になれないだけなんだ。
じゃあ何も問題はないじゃないか。元気な時間があるのならそれをやればいいだけじゃないか。一時感じるこの苦しみは人類全体としてみたら後回しにされるような軽いもので、放置しているうちに「ただ堕落とか怠惰とかそういう類の夢でも見てただけなんだ」と目が覚めるのかもしれない」

と思ったので、わたしは「困ってないです」と言った。


これもこれで、他人の言葉を受けて「医者がそう言うならわたしは困っていないんだ。わたしの考えは常に間違いだ」と決めつけ、一種の攻撃として受け取ってしまっていた。
思春期の頃からインターネットの「困ってるふりするな、もっと酷い人はいる、お前はかまってちゃんだ」や「メンヘラだってさ、面白いからみんなで見下そう! 迷惑がろう!」というような空気に心底漬かりきっていて、それ故に人間が信用できなくなっている。わたしの不器用さと、わたしの中にあるネガティブな人間像で、マイナスにマイナスを足している状態。

困っていると感じて心療内科に行ったのなら「困っています」と言えば良かったんだ。目の前の人が『わたしの中から生まれたシュレーディンガーの苦しみを否定する正しい人』や、『わたしの中で凝り固まったインターネットの有象無象例』と同じ思考だと決めつけてしまっていた。すごく失礼な話だなと自分でも思う。

あと、なんでか知らないけど『30代~中年ほどの男性の医者と個室で一対一になると、委縮して言いたいことが言えなくなってしまう』面も自分にはあるなと思った。これも合う合わないで、相手は悪くない。




上記の経験の後から精神はますます落ちていって、2022~2023年が一番酷かったように思う。「早めにメンクリへ行く」はできたのに「合わなかったので次を探す」をやらなかったからだ。
フラッシュバックも独り言も、世間と比べて自分を見下す回数も増え、何かが空回っている変なツイートも増えた。好きで楽しんでいたはずの作品に感情を乗せすぎてマイナスな気持ちがすごく大きくなってしまったり、Twitterにある好きなキャラクターへのマイナスな感想が頭にこびりついて夜中急に目覚め脳が雑踏のようなノイズを大音量で再生し始めたり、隣に通行人がいるのに「大丈夫…大丈夫…」と自分に言い聞かせる独り言が止まらなくなったり。

しかしこういった異常は家族の前では全く出なかった。症状があることを主張する時ならあったが、親は実物を見ていないので最終的に怒鳴り合いになるだけだった。弟は他人事として冷静に感想やアドバイスをくれた(いつも世話になってて本当に申し訳ないし、ありがとう)。
症状が出ないということはゲームをしたり、映画を見たり、風呂に入ったりが普通にできるので、反面楽しい時間もいっぱい過ごした。
前述通り、落ち込む時があるだけで、全ての時間が苦しい訳ではなかった。だからこそどうするべきかわからなかった。


それでどうなったかというと、最近はもう、すごく自由にさせてもらってる。
人間を諦めた。

まず、「まともな社会人にならなければ」と思うことを諦めた。平日に働き盛りの20代である自分が、親元で手に入れた金を握って堂々と一人で遊んでいる。
世の中ではたくさんの同年代が他人と過ごす職場でスキルアップに努めたり、人間関係を構築して色んな経験を積んでいる。中には過労しても生活が苦しい人だっているだろうに、自分はどこまで社会を舐め腐っているのだろう。申し訳ない。でも、そういうことを考えるのも諦めた。

次に、人から見てまともで魅力的な「この人と人間関係を構築したい!」と思わせるような人格になることも諦めた。無理に魅力的な人間になろうとせず、自分の正直な部分を解放していくことにした。親から「我が家に泥を塗るな!」なんて一言も聞いたことはないが、それでも優しい家族のメンツのために抑えてきた奇行も解放することにした。
ゴミ回収ボックスに入りたかったら入るし、仕事が終われば裏の林でキョロキョロするし、家の時計にも「お前は勤勉だなぁ」と話しかける。触りたいものがあったらベタベタ触るし、見たいものがあったらジロジロ見に行く。人を直接傷付けない範囲で。
そういう奇行アピールにも見える小さな奇行。今年で25歳になるけど、もうそれでいい。"奇行アピールにも見える小さな奇行"でしか精神的な希望を取り戻す方法がない。「さっさと別のメンクリ探せよ」ではあるけど、ゼロ円だからこれでいいや。

色んな事を諦めて、自分の状態を受け入れた。そのおかげで、以前と比べると精神がかなり安定してきた。ネガティブ数値10中8だったものが4とか3になった感じ。
謝罪を繰り返す独り言も全然しなくなって、フラッシュバックとそれに伴って突然叫ぶ回数もかなり減った。やりたいことに対して「どうせできない」よりも「いつかきっと!」が勝つようになった。完全に元気ではないし、横から殴られるように落ち込むときはまだあるけど、すごく良い傾向だ。未来に希望が持てたことがとても嬉しい。


これ以外にも精神が安定した理由は多分あるので、そのことについても文章でまとめたい気持ちがあります。ここまで読んでくださった方がいましたら、本当にありがとうございます。