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空蝉の誓い

7月に入ると、墓参りに行く。

自分の墓である。



街を見下ろす小高い丘の上に、巨大なパチンコ玉のようなモニュメントがある。
などというと、たぶんバチが当たりそうだ。

そのパチンコ玉が、死後に芋家が入る集合マンションである。



知人の御母堂が先に入居されたのは、震災のあった夏だった。

その時、家族割がありますよ〜と言われて(こんな軽いノリでは決してなかったと思うが)、知人は自分の名前も墓石に刻んだ。

景色だけはいいんだ。
と聞いて、ある夏に墓参りにお供した。


いつもお世話になったりしたりしています、と、お会いしたことのない御母堂に手を合わす。


高台にあるその墓地は、宗教を問わず受け入れている。
モニュメントに辿り着く前に、たくさんの個人住宅を通り過ぎるが、それぞれ念仏やら十字架やらが刻まれている。

最奥にそびえるパチンコ玉の大きな台座には、左右に入居者の名前が刻まれ、入居前の知人たちの名には朱を差してある。

不安要素と言えば高台だから土砂崩れであるが、中にいる我々はもう痛くも痒くもなくなってるわけだし、いいんじゃね?と考える冷血芋だ。

梅雨明け間近の湿った下界とは違う、爽やかな風に前髪を解かされ。

当方は「うちも一緒に入っても構わないだろうか」と、知人に問うた。


良く言えばドライ、悪く言うと無頓着な相方芋。
自分の死後を心配していたと喜ぶ(今思えば自分の体調変化を感じていたのか)義母芋。
この街に係累がいない爺婆芋は、拍子抜けするほど呆気なく賛成した。
反対するかと思った義父芋も、海沿いの故郷の墓に入るつもりはなかったらしい。
そして一軒家の墓にこだわりがある芋が誰も居ないというのも、奇跡的である。


とんとん拍子に話がまとまり、モニュメントの南側、知人の名から少し離れた場所に、芋家6人の名が朱く染められた。

「一人も亡くなっていないのに6人一度に予約、というお宅は滅多に無いです」
管理人さんが苦笑いする。

娘芋が忙しがってお参りに来なくても、
よそ様のあげた花を愛で、線香を盗み嗅ぎしていれば良かろうと思っている。

御母堂と知人を始め、生前を知らないたくさん方々との交流も、楽しいかもしれない。



毎年、御母堂の命日が近くなると、知人の供をして、入居予定地の確認に訪れる。

今年も、異常なし。


梅雨明けを待つ、風の中で。

急勾配の坂の上にきらめくパチンコ玉に手を合わせながら。


娘芋が命日に来るのは大変だろうから、真冬に死なないように気をつけようと、毎年誓うのである。




☆ヘッダー写真、お借りしました。いつもありがとうございます。

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