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どっかんと時限爆弾式だったらしい半年前の失恋

ずっと何かを我慢して買わずにいた『うたうおばけ』を先日ようやく読んだ。
しんどいときは物語が救いになるけど、本当に心の底からしんどいときは物語さえ読めなくなる。
物語さえ受け付けない砂漠のようなわたしに、『うたうおばけ』はびっくりするくらいすーっと染み込んできた。
どのエピソードもガラスの小石みたいにきらきら光って素敵だったけど、やっぱり「人生はドラマではないが、シーンは急に来る」の一文がずっと根底に響いていたように思う。
読み終えてからずっと、わたしの人生のシーンを数えていた。

この半年は本当にしんどいことのパレードみたいな日々だったけど、はじまりは失恋からだったことを改めて思った。
自分で過去の恋を思い出すとき、総評というか、こんな感じの恋だったな〜と思うことがある。
今思うと、多分今までで一番泣いた恋だった。
わたしは恋をしていて泣くことがあんまりない。
喧嘩しても、傷ついても、傷つけても、別れても、なんていうか"泣くべきだ"って思って泣くことがほとんどだ。
好きな気持ちは本物なのに、涙はいつでもついてこない。
でもこの恋ではわたしは泣いてばっかりだったように思う。
酷いことをされたとかいうんじゃなく、いつでも感情が激流だったから、よく泣いてた。
そして、それは寂しいとか悲しいとか嬉しいとか、単体の感情だったことはほぼなかった。
いつだったかの自分のメモに、
"感情の器がいっぱいになってそれでもなお感情がこみ上げてくるときに、形になって溢れるのが涙だ"
って書いてあったんだけど、過去のわたし、よくわかってるね、ほんとにその通りだと思うよわたしも。
だから、何の涙だったかと言われたら感情の涙だったって言うしかない。
去年は恥ずかしい話だけど電車でもしょっちゅう泣いてたし、自他共に認めるドライなわたしの情緒はジェットコースター状態だった。
半年前に振られるとわかってて振られて、今考えても自分本位な告白をしたけど、思っていた百倍くらい相手が優しく誠意のある人間のできた人だったのでつらい失恋じゃなかった、全然。
その人に振られて、わたしはこんな風に相手に向き合った振り方をしたことなんて一度もなかったな、って自分のこれまでを思った。
嬉しさと悔しさと不甲斐なさと、どこまでも届かない人だということにめちゃくちゃ地団駄を踏みながらお別れして、この半年を頑張ってきた。
あまりにも優しい失恋だったから、失恋したっていう実感があんまりなかったのかもしれない。
最終面接の結果が出る当日の朝、久しぶりにその人の夢を見た。
その人がたまに夢に出てくることはあっても、姿が見えるだけだったり、ちょっと立ち話をするくらいだったのに、その日の夢では現実以上に仲良くくっついて幸せに過ごした。
目が覚めたとき、引きずる幸福感が一瞬あって、そのあとどうしようもなくつらくなった。
しあわせな夢の方が醒めたときにしんどい。なんでよりによって今日なんだろうと思いながらぼんやりその日を過ごして、合格発表の時間になり、無事に内定が出た。
就活が終わったその報告のラインをしたとき、唐突にめちゃくちゃにびっくりするくらいに寂しくなってしまって、あぁ、今日が本当の本当に失恋した日だわ、と思った。
第一志望の内定が出た夜、きっと一番この半年で嬉しいであろう日に号泣しながら寝た。
時限爆弾みたいな失恋だったな、と思った。

今日、その人からの半年前の手紙が人伝に届いた。
そんなものが存在していることすら知らなかったし、正直、"えっ、今?"って思ったし。でもふと『うたうおばけ』が甦る。
たしかに、やっぱり、人生のシーンは急に来るものなんだろうと思う。
どんなことが書いてあるのか気になる気持ちと、今さら半年前の手紙を読む気の抜けた炭酸水みたいな気持ち、そして、どんなもんじゃい!という気持ちがブレンドされて謎に強気になり、なぜか阪急のホームでわたしはその手紙を読んだ。
家で読んだら、何が書いてあっても泣いてしまう気がした。
でもそんな心配は全くご無用だった。
どこで読もうが、泣いただろうから。
あ、これはあかん。と思ったときにはもう泣いてたし、全然涙を止められないし、もう散々だ。
マスク生活の一番のメリットは、電車で泣いてる女に優しいことかもしれない。
でも電車で思いっきり鼻をかむわけにもいかないから、おかげでマスクの下はずるずるだった。
その上、塩分の高い涙だったのか、すごく顔がひりひりして、かぴかぴした。
塩分の高い涙は、悲しい涙だったか、悔しい涙だったか。忘れてしまった。
でも本当を言えばどっちの涙でもないんだ、感情の飽和の涙だから。
手紙を読んで、その人との思い出が小さいものから大きいものまでいっぱいいっぱい浮かんできた。
どんなに小さい思い出でも、やっぱり宝物だなと思う。
ハウルの青い光を出す指輪みたいに、その人の言葉や思い出や生き方が道標みたいにひかる。
色んな岸に人々が分かれて暮らす中で、やっぱりわたしもこっち側の岸で生きていきたいと思わせられる。
今考えても、世界で一番最高な人だったと思うから、これからは宇宙で一番最高な人を見つけられるように、またてくてく歩いていくしかない。
未来へと歩いていく力を、その人の手紙が、言葉が、与えてくれるっていうことが、どうしようもなく嬉しくてやっぱりくやしい。


手紙から文字が解けて糸となりいつもわたしをひかりへつなぐ/2020.10.3 カタクリ

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