「自分」が分からない
私は、私のことが分からない。
20代後半で結婚して、30代になって慌てて妊活を始め、2児の母になった。いわゆるワーキングマザーで、日々、仕事や育児に追われながらも、趣味のテニスに明け暮れる。
ありきたりで、どこにでも居そうな「おかあさん」をしている。
そんな風に書くと、バリキャリだとか、パワフル母さんだってイメージをもたれるのかもしれないけれど。
私の人生は、そんなに明るいものではなかった。
小学校時代の記憶はほぼない。中学校時代の記憶もほとんどない。高校時代の記憶も…。
皆、そんなものなのかな?記憶の程度を他人と比較することは出来ないから、他者に比べてどう…とかは難しいのだけど。
当時流行った曲も、ドラマも、アニメも、ほとんど思い出せないし、学生時代の友人や教師の顔や名前も思い出せない人の方が多い。
私にとって、最も古い記憶は、幼稚園にも入園する前のこと。当時、社宅に住んでいて、専業主婦だった母に拳で頭をポカポカと殴られたこと。右へ左へ、往復ビンタならぬ、往復ゲンコを食らった。前後の記憶はなくて、多分、私が何か聞き分けの悪いことや、生意気なことを言ったんだろうと思う。
被虐待児だった訳ではないんだろうと思う。およそ40年前のしつけなんて、殴ったり、家の外へ締め出したり、当然のように行われていたのではないのかな。
5歳年上の兄から、性的虐待を受けていたようだけれど、それも、兄が根は気弱なので、大事件にはならずに「いたずらされた」程度だったのではないかな、と思っている。
10代の頃には、「私」の中には「ポジティブな私」と「ネガティブな私」が居て、どちらかというとネガティブな方が力が強くて、何かを決定しても、一旦持ち帰って、「ネガティブな私」にとことん否定される、ということを繰り返していた。世界はくっきりと「白」か「黒」かに分かれていて「グレー」は存在しなかった。
家でも心穏やかに過ごせず、学校でも心穏やかに過ごせず。
一時は、声を無くしたけれど、そのことにさえ、誰も気づかないぐらい、無口で根暗な少女時代を過ごした。
素人判断だけれど、小学校低学年頃には、いくつかのパーソナリティ障害を抱えていたのではないのかな?と思っている。
ずーっとずーっと死にたかった子が、何となく生きてきた。嫌なことはドンドン忘れて、辛い感情にはドンドン目を背けて。
今となっては、そんなに生きづらかった原因がどこにあるのか特定はできないけれど。
自己肯定感が低く、その割にはプライドが高くて、感情の起伏が激しくて、長く自分をコントロールできずにいた私も、何とか人並みに生きていられるようになってきたよ。
っていう、そんな話を書いていこうと思う。
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