しょうもないのに、なぜか覚えている幼少期の記憶

どうでもいい場面だし、大した記憶でもないのに、やけに鮮明に覚えている記憶ってありませんか?

私はね、小学生の時にスケートリンクで母親が小銭を側溝に落とした時のことをめちゃくちゃ覚えてる。

理由こそ覚えていないけれど、なぜかその時は苛立っていた母と、イライラと共に側溝に10円玉が沈んでいくことが、とにかく悲しかった。

------------

学校へ行きたくない日の朝、薄くて軽いタオルケットを頭まで被って、布団越しに朝日を通過した光が網目のように視界に差し込んでいた。

反抗期真っ只中、高校生の時。普段は自転車通学なんてしないくせに、午後1時過ぎに自転車を漕いで登校した。その日、私はひどくイライラしていたので、家で食器や書籍を一通り壊した罪悪感から、家に居るのがいたたまれなかった。だから、行きたくもない学校へ行った。

ノロノロと、いつもより遅い時間に帰宅しても母は何も言わず、散らかしたものはきれいに片付いていた。そのことがただただ申し訳なかった。めっちゃ反抗期だね。

私の実家の隣には、母方の祖父母宅がある。私が登校拒否をしていた小学生の時、回覧板を返すだか、昨日もらったご飯の食器を返すだかで、平日の真昼間に母と2人でその家へ行った(実家から徒歩10秒)。

その帰り際、私は祖母に腕を掴まれて引き止められ、「お母さんを困らせたらダメだよ」と言われた。分かってはいたが、私の不登校が母の重荷になっていることを間接的に突きつけられてショックだった。

当時、おそらく小学2年生。祖母は私の「味方」ではないことを勝手に感じ、それ依頼祖母のことをとても嫌いになった。勝手にね。

いつかのクリスマスの朝、枕元に「人生ゲーム」が置かれており、大変ショックだった。だって、私は全然人生ゲームなんて全然欲しくなかったから。

私の最古の記憶は、人生で初めて「卵を割った」時の記憶だ。あれは、いったい何歳の時なんだろうか。わからないけれど、日中に母と姉とお菓子かなにかを作っていて、私は初めて卵を割った。

普通に二足歩行していたし、言葉も話せていた気がするから、何歳の記憶なのかが本当に分からない。むしろ、実在する記憶だったのかすら危うい。

「どうでもいいけど、なぜか鮮明に覚えている」記憶は、大人になった今もなお、ふいに思い出すことがある。特段、悲しいわけでも、エモい気持ちになるわけでも、切ないわけでも、微笑ましく感じるわけでもないが、強制的に脳内でその“映像”が再生される。忘れるなということか。

忘れないよ、テメーのクソみたいな幼少期の思い出なんて。忘れたくて、忘れたくて、忘れたくて仕方なくても、忘れられないよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?