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穏やかでいたかっただけ

モラハラされる人は自己肯定感が低いことが原因だと、なんかのネットニュースで見た。どこに所属してるライターが書いたかもわからん文章なのに、なんの違和感もなく私の腑には落ちた。

なんでこんなことを書いているかと言うと、今好きな人が、今までの人生で出会った中で一番穏やかで、一番感情の起伏が緩やかで、喜怒哀楽の「喜」と「楽」に全振りしているような人だったから。

もちろん、彼にも落ち込むこととかイラッとすることはあるだろうけども、こんなに穏やかなハッピー兄ちゃん見たことないし、どんな遺伝子を引き継いで、どんな家庭環境で育ったらこうなるのか本当に興味がある。

子どもの頃に受けた愛情の量が比例して自己肯定感につながるんだとしたら、私はここまで穿った物の見方をする人間にはなっていなかったはず。愛されて育った自覚はある。のに、なんでこの仕上がり?

穏やかであることと自己肯定感はイコールではないというのはわかってるけど、自己肯定感が低い人はちょっとやそっとのことで自信をなくすし、穏やかに他人に振る舞っている余裕なんてない。というのが、私の持論。

天気が悪いとか、気圧が低いとか、肌が荒れているとか、不可抗力なことですら順当にネガティブな恩恵を受ける私は、表向きずっと穏やかでいられる人に対する尊敬の念がめちゃくちゃある。むしろ、しんどくない? もっと思いのままにキレてもいいんだよ? って思っちゃう。

私は元来しぬほど感情的な人間なので、すぐに悲しくなったり、すぐに傷ついたり、すぐにモヤモヤしたり、すぐに泣いたり、すぐに嫉妬したりしてしまう。

そして、そういう自分のことがすごく嫌いだし、自分が感情的であることはなんとなく分かっていたから、なんでもない素振りをすることだけが意図せず異様にうまくなってしまった。

だから大人になってから、「なんでそんなに冷たいの」「冷静だね」「サイボーグ」と言われるたびに、相手方のガバガバなジャッジを疑った。

何言ってんの……? こんなに感情的なのに……? って。でも、他者評価は間違いではない。真意が定かなのかは別にしても。

話めっちゃ飛んだけど、私がいま好きな人のメンタルが本当に羨ましい。別の生き物だからすべてを分かることなんてできないんだけど、それでも「こんな素直で優しい人間いるんだ……」という感情が募るばかり。

具体的に何がって言うと、相手方の心がザラッとするような言葉はいっさい使わないし、人のこと悪く言ったりしないし、自分が絶対に正しいんだという偏見を持っていないし、負の感情を理不尽に投げつけてきたりはしないこと。

もしかしたら人と人とのコミュニケーションでは当たり前のことなのかもしれないけど、相手に不快な思いをさせずにこんなに優しい人に会ったことなかったから、日々感動してる。

あったかいお湯に浸かるのが常になってしまったから、私はこの先の生活が怖い。数こそ多くないけれど仲良くしてくれる友だちもいて、今日のご飯を食べるだけのお金はあって、五体満足で今日も生きているんだから、それ以上望むものなんて本当はないはずなのに、どこまでもないものねだり。

しかもそんな私の今の願いは「もっと給料の良い会社」「寂しい暇もないくらい遊んでたい」「時々旅行ができるくらいの余暇が欲しい」「広くて新築の家に住みたい」とか、完全に今の生活のプラスαを望んでいるから、生き物ってがめついなぁと思う。

そんなんだから、目先の幸せをすっ飛ばして無下にするんだよ。もっと大事にしな。

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