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夏と冬に電気代が上がるなら、大人になりたくなかった

夏と冬に爆増する公共料金の支払、給料日に大量に下ろす預金、どこまで払い終えたのかわからない税金の振り込み、引っ越し資金の準備、外食ばかりしていたら生計が立たないから自炊して、それでも貯金に回せる額なんて微塵もないような暮らし。

学生時代、大人になんて全然なりたくなかったけれど、人は時が経てば自動的に「大人」へと押し上げられてしまう。なりたくないと思っていた大人は、案外気楽で自由な部分もあるけれど、いまだに実感は湧いていない。

朝に帰ったって咎められないし、自分のお金だからいくらお酒を飲んだって怪訝な顔はされないし、新しい洋服だって好きなだけ買えるんだ。

そう思っていたけれど、どうやら「大人」だからといってそれが自由にできるわけではないらしい。大人であることのメリットが1つ死んだ気がした。

朝帰りしたら彼氏に頭からビールかけられたし、お酒を飲みすぎるなと忠告されるし、新しい洋服を毎月買うほどの余裕なんてどこにもない。周りの友だちの暮らしぶりを聞くたびに、いったいどれほどの額面があるのか? と、夢もクソもないようなことを疑問に思う。

私よりも月収が10万円は高い友だちが、このあいだ「金銭感覚の合わない友だちは無理だ」と言っていて、その場は適当に聞き流していたけれど、内心めちゃくちゃ焦ったし、なんで私は苦しみながらこんなカツカツな生活をしているのかがわからなくなって絶望した。無論、それは今日に至るまでの「努力の差」に過ぎない。私は怠けすぎた。

ハイブランドの洋服なんて買えない。でも、大人なのに安い服ばっかり買っているのも、箔が付かないし情けない。デパコスを買わないのは、消耗品に高い値段を割けるような暮らしをしていないから。

「このあいだのボーナスで買っちゃった」と言いながら、友だちが見せてきたLOEWEのバッグは、彼女の華やかさを象徴するものではなくて、私にとっては、私のひもじさや虚しさを具現化したものにしか思えなかった。そもそもうちはボーナスなんていう制度がないので、「今日は奮発しちゃおう!」というタイミングは一生訪れない。

大人になったほうが、自分の価値をまざまざと突きつけられる瞬間が多くて、「子どものほうが幾分楽だったことか」と思ってしまう。時間は不可逆だからそんな憂いはムダなものでしかないのに、そんな過去のぬるま湯が懐かしく思えるほどには私の心は貧しくなって、そして汚く錆びついている。

大人になんて、なるもんじゃない。それから、そんなふうに考えちゃうような大人なら、ならないほうがマシだった。

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