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自分のこと「気遣い屋」と思ってたけど、ただの小心者だった

気を遣いすぎるがゆえに、「気を遣っていること」を他人に気づかれてしまう。バレてしまうような気遣いは、さらに相手の気遣いを生んでしまうから、それだったら最初からそんなにビクビクしないで生きればいいのに、それでも気を遣わずに過ごす方法がわからない。

とか言いながら、その性格のせいでけっこう周りに大体的に迷惑をかけながら生きている。たぶんそれは気を遣う方向を間違えているから起こるミスであって、私が「気遣い」だと思っているものは、ただの「小心者」としての言い訳なのかもしれない。

これはもう気遣い云々とかじゃないのかもしれないけど、例えば他人とご飯を食べる時、「汚い食べ方をしていないだろうか」「大きい口を開けてブサイクな面を晒してはいないだろうか」「このお肉噛み切れなかったらどうしよう」「口になんかついてやしないか」とか、いろいろ気にしすぎて食べるのが遅くなって、結局人を待たせたりご飯が冷めてしまったりする。

初対面の人と会う時も、「そういえばなんて呼んだら良いんだろう? でも『なんて呼べばいいですか』なんて聞くのは新学期の学生みたいでアレだよな」「てか、そもそもこの人何歳なんだろう」「でも年齢を聞くのってタブーっぽいよな」「いきなり決め打ちで話題振ってスベっても気まずいよな」「あぁもう沈黙になっちゃったよ……」といった具合で、口こそ動いてないのに脳内だけ1人でおしゃべりになる。

結局のところ私は、他人に気を遣って生きているんじゃなくて、自分をよく見られたいという意識が強すぎるんだと思う。

その思考が空回って、「あんまりしゃべんないし、つまんないし、当たり障りないから居ても居なくてもいい人。でもなんか気遣ってるっぽいから、こっちも気遣っちゃうな」っていう、うっすら邪魔な埃みたいな存在になっているんだと思う。

ごめんなさい、とは常に思う。空気を読もうとしすぎることによって、その空気をうっすら濁してしまうし、話題を振ろうとしていることを悟られて、逆に相手にエピソードトークさせてしまうし、本当に、本当に申し訳ございませんって、ずっと思ってる。

他人とまともに関わってこなかった弊害を、年々感じる。そしてそれを感じると共に、内省としてこうやって1人で文章を書くことが増えたことも、また感じる。

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