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「卵ない」と思って買ったら、だいたい冷蔵庫にめっちゃある

缶はゴミがかさばるからと思って、瓶の焼酎と炭酸水を買ってみたけれど、ゴミの種類が増えたうえに排出するゴミの総量も変わらなかった。

「いや、たぶんあと2個くらいしか残ってなかっただろう!」と、自分の記憶を信じて卵(10個入りパック)を買った時に限って、同じことを考えた過去の私がパンパンに卵をストックしていたりする。あと20個もあるけど、何作ろっか。

ライターを買った日に限って、しばらく使っていない鞄の中から3つくらいライターが出てきたりする。なのに、肝心な時に限って無いから「家にあんなにあるのに…」って懺悔しながら買う。ライターより安いから、とりあえずマッチ買う時すらある。

年に1回使うかどうかも怪しい「スティックのり」、絶対に1年前に買ったはずなのに家中探しても見つからなくて、結局またコンビニで買う。物の管理がちゃんとできていない証拠。

免許更新、更新期限の当日に鮫洲免許センターまで行って滑り込みセーフ。「夏休みの宿題は31日にまとめてやる派」ではなかったのに、なぜか年々自堕落になってきている。後天的に「夏休みの宿題は31日にまとめてやる派」に転身することってあるのか?

「スケジュール管理ができていませんね」「報連相が足りていません」「日程を逆算して、タスクはバッファを設けて進行しましょう」「オープンスペースではもっと慎ましくしましょう」といった、初歩的な注意を毎日仕事でされている。
ごめんなさいと思う反面、ダサい自分が嫌になって、今すぐ会社ごと辞めたくなる。だけど、カタカナ用語多いのは普通にダルくてやめてほしい。

至って真面目な幼少期の苦しみを笑ったあいつも、恋人に暴力を振るわれている話を信じてくれなかったあいつも、私の顔の造形を見て「残念」と言い放ったあいつも、全員忘れてないからな。

どうせすぐに充電が無くなるってわかっているのに、いつまでもAmazonでポータブル充電器を注文できていない。カートにすら入れていない。緊急を要さないけど今すぐは要らないものは、ギリギリにならないといつまでも買えない。そして、本当に必要な時にはまだ手元にない。

居酒屋で酔っ払ってほかの客をビールジョッキで殴ったボーカルがいる、私の好きなバンドのMVをプロジェクターでデカデカと流しながら酒を飲む。曲に罪はない。創作物に罪はない。だけど、正体不明の微塵の罪悪感が心をザラッとかすめる。

ほらね、大人ってぜんぜんダメでしょう。

辛い時とか疲れた時に、私は呪文のように「だって大人だもん」と唱える。まだ自分が子どもだとでも言いたげに、そして大人であることを言い聞かせるかのように、この魔法の言葉をよく使う。私はそうやってなんとか、社会の中で大人として生きている。大人になんてなれているのか、まだわかんないけどね。

ばいば〜い、明日もがんばって大人として生きるわ。




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