薬での治療のはじまり
検査入院でプロラクチノーマが確定となり、
身も心も落ち着かない日々が続きました。
まず、この病気が指定難病であることを知り、
医療費助成の申請を母が代行してくれました。
(保健所でやります)
2割負担であり、所得に応じて月の負担上限額も決まります。学生で親の扶養に入っていたので、当時は親が負担してくれました。
有難い。。。
看護学生時代、難病についての制度もサラッと習ってはいましたが、ここで活きてくるとは(笑)
そして、次の外来から、カベルゴリンという薬を内服する治療が始まりました。
カベルゴリンはドーパミン作動薬ともいわれるもので、パーキンソン病の治療や、母乳を止めるために使われたりもします。
これを週に1回1錠(0.25mg)からスタート。
寝る前に飲みます。
副作用には、気持ち悪くなったり、胃がムカムカしたりすることがあるらしいのですが、幸い私はあまり気にならなかったです。
週に1回なので、よゆー!と思いきや、、
普通に飲み忘れたりしました😂
今はアラームをセットして忘れないようにしてます。(それでも、アラームが鳴って初めて「あ!今日飲む日やん、、」とすっかり忘れてるときがあります😅)
薬を飲みながら、課題をこなし、授業に出て、分娩介助実習に向けて技術練習。
見た目は全然元気なのですが、この時期ぐらいから頭痛に悩まされてました。
元々小学生の頃から、たまに重い片頭痛になるときがあり、それからは月に数回ある程度でした。
でも、このときは梅雨など気圧のせいもあってかはわからないのですが、毎日のように頭痛があってゲンナリしてました。特にあったのは、左の後頭部、こめかみ、目の奥。頭全体が締め付けられるようなときも。
涙が自然に出てくるぐらい痛いときもあり、目も重く、そのときはロキソニンを飲んで寝ました。。
この病気が影響してたのかは分からないですが、内分泌と脳外科の主治医には頭痛のことは伝えていました。が、経過観察。
腫瘍が大きいとすぐ上を通っている視神経を圧迫して視野障害を起こすことがあるのですが、それは起きてなかったです。
内服治療開始してから1ヶ月後の外来。
プロラクチンの値は90前後。
そりゃ下がってないよなあ。
この月から、週に2回内服となりました。
また次の月に受診し、値は横ばい。
内服量は変わらず。
分娩介助の実習は始まっていたので、合間を縫って都内まで通院するのがストレスになってました。
往復約3時間、、、3時間あれば記録進められるのに!!病気さえなければ!!と何度思ったことか😇
次の月の受診。やっぱり値は下がっておらず。
内服量が増量となり、1回2錠を週2回内服となりました。1mg/週という感じです。
実習はお産の時間によっては夜間もあったので、薬を飲む時間と実習時間が重なったときは、次の日の朝とかに飲んでしまってました。
ほんとはダメです🙂
こんな風に、毎週薬を飲む生活がずーっと続き、薬を飲むことが日常の一部となっていきました。
薬を飲む曜日がくると、あー、今日は飲む日か、、と飲むこと自体をストレスに感じてしまったり、そう思ってしまう自分が嫌になったり、感情がごちゃまぜでした。笑
たぶん、病気である自分を受け入れたくなかったんだと思います。
見た目は全然元気で、普通に生活を送れて、周りの人とほとんど変わらないのに、頭の中には時限爆弾。ほっといたらどんどん大きくなって最悪失明、出血したら危険。
不妊にも関係するものだから、実習で妊婦さんや赤ちゃんを見るたびにモヤモヤしてしまう自分にも嫌気がさしました。
助産師の道を選んだのは自分。
妊婦さんは全く悪くないのに、普通に妊娠して、無事に出産して、楽しそうに育児をしているママたちを羨ましい目でみてしまうときも正直ありました。(今は尊敬の眼差しです!!)
同時に、不妊治療を経て妊娠した方、不妊治療を頑張っている方の気持ちを想像することが増えました。もしかしたら、こんなふうに思ってるのかもしれない、とか、このときこんな気持ちなのかな、とか。
記録を書いて、仮眠するとき。ふと赤ちゃんの鳴き声が頭の中で響いて、「病気の自分」「不妊かもしれない自分」を思い出して、訳もなくボロボロ泣いてたときもありました。笑
私はこのまま不妊なのかなぁ。子どもを持たない人生なのかな。そう思いながらずっと助産師をやり続けていくのかなぁ。と、ぐるぐる考えては泣いてを繰り返してました。今は悩まなくていいから早よ寝なさいって言いたい(笑)
書いてみて改めて思うのは、不妊に対してすごく不安に思ってたんだな、ということです。
実は今もそうなのですが。
でも当時より気持ちはポジティブです!
実習中にも関わらず、子どもがいる人生、子どもを持たない人生、、幸せってなんだろう、、どう生きたいんだろう、、と正解がないことをひたすら考える日が増えていきました。
また次回続きを書きます!