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核酸ワクチンと妊娠

前回、妊娠に対する免疫学的な関連を説明した。今回は巷で噂される事もある「核酸ワクチン」と「妊娠」に関する懸念を免疫学的に考えてみよう。

そもそも核酸ワクチンが妊娠に及ぼす影響というのはよく言って推測の域を出ない部分であるが、世間では「不妊」と「妊娠の維持・流産」を混同して考えるケースが散見されるので、まずはそこを整理したい。「核酸ワクチンで不妊になる」と言った場合は、妊娠の維持ではなく妊娠の成立についての問題である。この場合、臨床的にもデータは充分とは言えない。将来の妊娠成立に対しての影響を正確に評価する事が困難だからだ。一方で、不妊への懸念に対して「妊娠時の投与」を安全性の根拠に挙げるケースもあるが、これも間違いである。「妊娠の維持」は不妊とは違う生体現象が多く関与するからだ。そこを混同しない様にお願いして以降の議論を始めたい。

まず「核酸ワクチンで不妊になる」という説が流布したのは何故だろうか。噂の大元は分からないが、資料として存在する科学的根拠を辿っていくと、可能性のある機序は一つである。PMDAの審査資料(https://www.pmda.go.jp/drugs/2021/P20210212001/672212000_30300AMX00231_I100_1.pdf)によると、核酸ワクチンによって抗原が発現する臓器の一つとして卵巣がある。その為、卵巣への影響が懸念されるという事だろう。

免疫学的にもう少し突っ込むと、核酸ワクチンによる臓器での抗原発現はCD8陽性T細胞によるその臓器の障害を引き起こす。これは過去記事で述べた通りである。実際に、上記の資料で最も多く抗原発現が分布する臓器は肝臓であるが、核酸ワクチンに伴う臓器特異的自己免疫反応の報告が最も多いのも肝臓(自己免疫性肝炎)である事は既に紹介した通りである。自己の組織に対するCD8陽性T細胞の活性化が、その臓器に於ける炎症をもたらす事は必然であり、卵巣への影響・すなわち不妊への懸念を持つことはある意味で自然と言える。

ただし、上記はあくまで「噂を説明する上で考え得る機序の仮説」である。では、実際のリスクはどの程度と考えるべきだろうか。上記の現象が起きていれば核酸ワクチンによる卵巣炎の症例報告などが既に存在する筈である。実際に肝炎は多くの報告がある事は既に述べた。では卵巣炎はどうかと言うと、実は1件もない。という事なので、実際に上記のリスクはあまり無いのだろう、というのが科学的な考察である。

ただ、以降は「非科学的な個人的感想」だが、これだけ投与が進んでいれば「偶然」だとしても症例報告があってもよさそうなものだが、1件もない。調べていて少し違和感を覚えたのは事実である。他の組織についてはほとんどが炎症性の報告が複数出て来る。しかし、卵巣炎と、ついでに精巣炎に関しては何故か1件も出て来ない。ジャーナル側が止める事は考えにくいが、著者側の組織として不妊を想定させる症例報告を止めている可能性はあるのかな、と想像してしまうくらいには違和感のある状況である。まあ何れにしても、目に見える事実は「現時点で卵巣炎のリスクは考えにくい」という事である。

以上が「不妊」に関する免疫学的な考察である。もっとも、免疫反応以外の部分についても考える必要があるだろうし、繰り返しになるが「不妊」のリスクと言うのは長期的な評価が必須である。現在の核酸ワクチンによる問題は、上記の様に考察すべき機序が存在する「不透明」な部分について、いたずらに不安を煽ったり、逆に無根拠に安全性を訴えたりする事である。長期的なフォローアップを前提に、未知の部分についてきちんと説明と評価を実施していく事、一定の見解が確定するまで、懸念となる年代について乱用しない事、そういった当然の姿勢が求められる。同時に、それらの年代については、免疫学的にリスクの低い安全なワクチンを適用できるように多様な製剤の開発・承認を進める事も重要であろう。

さて、ここまで「不妊」に関する事象を考察してきた。以降は「妊娠の維持」について考えたい。「妊娠の維持」に関する免疫学的な関連は前の記事に書いた通りである。胎児に対する免疫寛容が母体には成立しており、それが破綻すると妊娠が維持できなくなる。そして、核酸ワクチンによる免疫系の活性化が、その免疫寛容を破綻させ、流産に至るというリスクは明確に存在するだろう。

一方で、ワクチン全般にはリスクベネフィット比較の問題がある。そして、大前提として、「妊娠時」には感染対策の困難さから感染リスクが高くなっているという点や、免疫寛容状態による感染症悪化リスクが高くなっているという点はしっかり考える必要がある。同時に、感染症そのものも流産リスクとなり得るので、その点も踏まえる必要がある。ハッキリ言えば、「核酸ワクチンのせいで流産した」というケースがゼロだとは思わないが、妊娠時に「核酸ワクチンを打っていれば流産を防げた」というケースはそれよりも多い可能性が高いだろう。ただし、自分がどのケースになるかは誰にも分からないというのが何よりも難しい点であり、誰も責任を持って「貴女はどうするべき」と言えないし、言ってくれない。上記のリスク・ベネフィットを十分考え、自身が納得して選択するべきであるが、現状、ここまできちんとリスク・ベネフィットを説明してくれている人が居ないというのも現状の最大の問題である。

ここまでを踏まえて臨床データを踏まえた考察に移っていこう。不妊とは異なり、「妊娠の維持」は期間が限定され、かつパラメータが明確なので、統計データはそこそこ集まっている。JAMA. 2021 326(8):728のデータによると、核酸ワクチン接種vs未接種で流産率を比較した場合、ワクチン接種が1.7%なのに対し、非接種が1.6%で殆ど変わらない。但し、これは「核酸ワクチンが妊娠の維持に影響しない」という意味ではない。接種群1.7%(128人)の中には「核酸ワクチンのせいで妊娠が維持できなくなった」人は居るだろうし、残りの98.3%の中には「ワクチンを打ったおかげで流産しなかった人も居る」のは間違いない。反対に非接種の1.6%(118人)の中にはウイルス感染のせいで流産した人が居るだろう故に、差が殆ど無いのだろう。そこまで考えて、自身の状況も踏まえて、選択をする。それがリスクベネフィット比較である。「免疫学的に影響がある可能性は高い」以上、「値が変わらないから、影響は無い」と考えるのは間違いだが、一方で、「妊娠時は明らかなベネフィットがある状態」である事も事実なのだ。その両面を正しく理解し、リスク・ベネフィット比較を個別に行う事が肝要であり、推進派であれば、そこまで説明して、それを導く事が正しい姿勢となる。私は核酸ワクチン慎重派だが、推進派の99%よりも正しくリスクとベネフィットを説明する自信があるし、それを踏まえて個々人が納得いく判断をする事が大事だと考えている。

まとめると、「妊娠の維持」に関しては期間と条件が限定されるので、かなり正確に統計は出ていると考えて構わないだろう。一方で、「新規の妊娠」つまり「不妊」は長期的影響含め、未知な部分は多く、機序などから考察と観察を続けていく事が必要となる。デマと扱われる事の多い命題に関しても、本質的にはここまで考察を深めて初めて真実に近付く事が出来る。その科学的姿勢が今の世界を生きていく上で必要になっているという事だろう。

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