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文学部出身が社会人になって最初に衝撃を受けた話

ここに文学部出身で、社会人になりたての新田さんがいます。
新田さんは初めての社会人生活に右往左往しながら必死で毎日を送っていました。
ビジネスマナーの勉強をして、会社のルールを覚えて、ひたすらメモを取って…。

そんな中、今日の日報を書くように先輩から言われました。
「報告の欄には今日やったことを箇条書きで書いてね。所感のところには、今日の感想とか好きなことを書いていいよ」

得意分野だ!と思った新田さんは元気よく返事をしました。
曲がりなりにも文学部。文章を書く機会は多く、少しは自信があります。
そして書くこと30分。
今日やったことの中で、一番自信を持って先輩に提出します。
そしてしばらくして先輩が返してくれた日報は、指摘の赤書きで真っ赤になっていたのでした。

「…」

自信満々だった新田さん、流石に言葉を失います。
先輩は少し困ったように笑いながら、ひとつひとつ説明をしてくれたのでした。

「新田さんは…文学部出身かな?」
「はい、そうです」
「そっか、文章からそんな感じがしたよ」

先輩によると、文章に使われている漢字が日常では使わないものが多いということ。
言い回しが難しいものが多いが、ビジネスの場では使わないものであるということ。
あいまいな表現が多いが、断定するようにするのがビジネス文書としてはふさわしいということ。

先輩の話はわかりやすくて、新田さんは複雑な思いを抱えながらも納得しました。

文学部に居た頃は、周りの人みんなこれくらいの文章を読んだし書いたけれど、それはビジネスで通用するような「一般的」ではなかったようです。

新社会人として新田さんはビジネスにふさわしい文章を書けるように、日々練習していきました。

そして数年後、後輩にビジネス文書を指導できるまでに新田さんは成長したのでした。
ただ、いつしか、大学生の頃に書いていたような文章は書けなくなってしまいました。



文学部でも普段接していた「文学」の種類にもよるとは思いますが、
愛読書が夏目漱石だったり芥川龍之介だったりするとこういう事が起きやすいのかなと思います。
(それでも視野の広い人なんかは社会人になる前にこういったことを理解しているのでしょうが)

「所謂」とか「以って」とか「其の」みたいな表現はさすがにビジネス文書には不適切というのはわかりますが、ちょっとした漢字だと思っていたもの(曖昧、何時、躊躇など)も、相応しくないそうです。
相応しくないというのも、ふさわしくないと記載するのが適切ですね。

こういった経験をした事がある人は、どこかにいらっしゃるのではないでしょうか…。。。


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