見出し画像

19 国際人権条約の完全批准


 日本に住む外国籍者は、納税の義務は課せられている一方で、国民ではないという理由により、さまざまな制度から排除されています。また、人種や民族、肌の色などが異なることを理由に、社会的な差別を受け続けています。憲法は、人びとの基本的人権の尊重を柱としていますが、外国籍者の権利を守るうえで万能ではありません。

 人が人らしく生きるために、生まれたときから持っているものが人権です。第二次世界大戦の終結間もない1948年に国連総会で採択された世界人権宣言は、人権は世界のどこでも、誰もが持つものであるとしています。その原則に基づいて国連は次々と人権条約を採択し、普遍的な人権基準が各国に根付くことをめざしています(図表11)。

 権利が侵害されやすい先住民族や移民などマイノリティの権利保障には、人権条約を取り込むことが重要なのです。条約を締結した以上、国は守る義務があります。その条約の内容に沿って法律や政策を整備しなければならないのです。


▶日本における人権条約の締結

 日本で先駆けとなったのが、1979年の国際人権規約(社会権規約と自由権規約)の批准を契機とした外国人の公営住宅への「門戸開放」です。1952年のサンフランシスコ講和条約の発効を機に、日本の旧植民地出身者である在日韓国・朝鮮人や台湾人は、一方的に日本国籍を剝奪されて外国人となったうえ、さまざまな制度の枠外に置かれました。この状態が改善されたのが、「内外人平等」を原則とする国際人権規約の締結に際した、国籍要件撤廃でした。

 さらに、多数のインドシナ難民の受け入れのさなかの1981年、日本は難民条約の締約国となりました。難民条約は、社会保障において「内国民待遇」を求めていることから、国民年金や、児童手当に関する法律の国籍条項を削除し、外国人にも制度が適用されるようになったのです(ただし、当時一定年齢以上に達していた人が受給対象から取り残され、その事態は現在も解決していません)。

 また、1985年の女性差別撤廃条約の批准に際して、国籍法における女性差別が撤廃されました。それまで国籍法は父系血統主義をとり、外国人と結婚した日本人女性の子どもは日本国籍を継承できなかったのですが、批准をきっかけに父母両系主義へと国籍法が改正されたのです。

 このように、国際人権基準に基づいた法制度が徐々に実施されてきました。その背景には、差別撤廃をめざす当事者や市民運動の取り組みがあります。


▶いまだ残る課題

 1990年、国連で移住労働者権利条約が採択されました。この条約は、非正規滞在者を含む移民の権利保護を求めていることから、非常に重要な条約です。しかし、他の主要な移民受け入れ国と同様に、日本はまだ批准していません。

 また、日本は人権条約を締結していても、特定の条文を「留保」したり、国内法を優先するといった「解釈宣言」を付しています。1995年に加入した人種差別撤廃条約の第4条(a)項と(b)項では、人種差別の宣伝・扇動に対して法律による禁止と処罰を求めています。しかし、法律で処罰するのは日本国憲法で保障する表現の自由などを制限するおそれがあるという考えから、これらの項目は「留保」という形をとって内容を受け入れていません。

 くわえて、子どもの権利条約の第9条は、「子どもがその父母の意思に反して分離されないこと」を求めていますが、日本は「出入国管理法に基づく退去強制の結果として児童が父母から分離される場合に適用されるものではない」と解釈宣言をして、国際人権基準よりも入管法を優先しています。

 さらに、条約の完全批准にとって重要なのは、主要な人権条約が設けている「個人通報制度」を受諾することです。これは、権利が侵害された個人や集団が、国内で手立てを尽くしたうえで、条約機関に直接通報し救済を図る制度です。審議の結果、権利侵害が認められれば国に勧告が出されます。しかし日本は、最高裁判所の確定判決に異議を挟まれるといった懸念からまだ受け入れていません。これらの留保や解釈宣言を撤回して、条約の全条文を誠実に受け入れ、人権条約を完全に実施していくことが必要です。なぜなら、人権条約は国際社会の共通ルールなのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?