空っぽは空っぽで

空っぽ、ずっと前から気がついていた。
何も無いことを、人と比べて、誇れるものは何も無く、何かに秀でものもなく、頑張ったって自分何もなし得ないし、そもそも頑張る力すらない。少し頑張ってみたけど、上手くいかなくて、どうしていいか分からなくて。
先生もに聞いても、解決策が見つからず、もう頑張ることを辞めた。
出来ないなら、何もしなくても同じだし、やって出来ないことなら、わざわざやる必要は無いしって思って、やらなかった。
進学しなくちゃと思っていた。やりたいこともなかった。強いて言えば、好きにお金を使いたかった。買いたいものを買ってみたかった。そんなので進学したから、形だけだったから、すぐに辞めたくなった。
お金払ってるから、辞めなかった。
彼氏が出来たから、一先ず通った。
けど、頑張れない私、何となく通ってる私と、通いたくて通って人がいて、温度差を感じるし、授業も面白くなかった。
ずっと感じてきた、「面白くないな」。
社会人になっても、一時期だけで、すぐ面白くなくなる。
とはいえ、一生懸命したことないからしてみたけど、やっぱり上手くいかず、人生分からなくなった。
いいなと思うことをやってみた。
しんどかった。こんなはずではないと、心から恨んだ。求めていたはずなのに、思ってたのと違う。
そんな苦しい時期を繰り返し、少し楽になって出来るようになったけど、面白さを感じなくなった。
そう、自分の成長の時期、スキルアップの時期は終わり、目の前の人を育成する時期に来たらしい。
言語化に自信の無い私は、できないし、方向も分からないし、今また、暗闇の最中。

結局、やりたいことがない。
目の前のこと、一先ずやるだけ。
やりたいかと言われれば、成長を感じられて面白いならやる。
それだけ。
今の仕事も面白くはあるんだけど、何も無くてもそれをやるかと言われたら、やらない気がする。
やっぱり、何も無くてもやってしまうことは、ない気がする。
山を歩けば、自然を感じる。だから気持ちいいけど、ただ山を歩きたいかと言われれば、別に歩きたくない。
ヨガの仕事も、反応がなかったら、やめようって思う。
語学学校の仕事も、相手の反応が悪いことが続いたら、別にいいかなって。
成長した先は見えない。
だから、成長してみたい。ただそれだけ。
そこから先に進みたいかどうかは、別に今決めなくていいし、って思う。
だから、やりたくことがなく、敢えて言うなら、目の前に来たことがその時やりたいことなだけで、違うものが来たら、対象は変わるだろう。
だから、ただこなすだけなのかもしれない。生命として、ここに存在はしてるけど、何が欠けても、今の自分はいないのだけれど、未来の自分も、今の何が欠けても存在しないという不思議なところにたっている。
全部、結局、これでよかった。
もう、来る日が来たら帰るだけ。
だけど、味合わないで帰るのはちょっと勿体ないのかも…
できないものは、来世に投げて、出来ることは今世で。
でも、無理してまで頑張りたくないし、たぶん頑張れないのは、思い入れがないからなんだろうなぁ。
頭の中は、
なんの思い入れも持たない自分と、
やっぱりこれもあれも欲しいと言う自分と、
もう何がなんだか分からなくなってきた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?