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キラキラした夢と、気持ちと。


最近ふと考えるのは、

どうして私が今ここまでのめり込めるものに出会えたのか、

ということ。

そんなわけで今回noteに思い切って自分の話をつらつらと書いてみました。とはいえ、ほとんど日プの話になっちゃったけれど、暇つぶしにでも見ていってください。



私は小学校を卒業する手前からずっとGReeeeNが好きで、

2回だけ、GReeeeNのライブに行った。GReeeeNのライブなんてって言ってくる人もいるけど、物足りないなんて思ったことは無い。ほんとにむちゃくちゃ楽しい。終盤とか気づいたら泣いてるし。


でもやっぱり。

会いにいけるようなアーティストを応援してみたい、そんな思いが心のどっかにあった。

高校生になって、YouTubeのおすすめに突然出てきたIUちゃんにハマり、あっという間にファンクラブに入り、そこからkpopを聴くようになった。


高3の春、LINENEWSでたまたまPRODUCEシリーズの日本版が始まる事を知った。

一般からの応募、事務所無所属の人限定、

正直、まあ見てみるかな 位のつもりだった。


9月の初め、101人のツカメと、練習生が公開された。

センターで踊る蓮くんを見て、衝撃を受けた。なにこれ、(いい意味で)思ってたんと違うぞ。って思ったの今でも覚えてる。

そんで、私の1pick鶴房汐恩君のこともこの時に知った。

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何も知らないからただただかっこいい、ほんとにその時はそれだけでしか無かったけど。。


9月下旬、放送が始まって、気づけば毎週木曜日をドキドキして迎えていた。受験勉強があったからあんまりスマホにかじり付けなかったけど、スマホが使える時間のほとんどを日プに費やし、毎日寝る前に祈る気持ちで投票をした。


会社や学校を辞めてきた人、休学をして臨む人、内定を蹴ってきた人、最後のチャンスだと決めて全てを賭けている人、、


高校の次も進学するという選択を当たり前のようにして、受験を控えていた私にとって、退路を断ち、真っ直ぐ夢をおいかける練習生の姿は物凄く新鮮で眩しかった。そしてカッコよかった。

「アイドルになりたい」「絶対デビューする。」みんなが口を揃えて言っていた。101分のたった11。自分なら絶対に保険をかけてしまう確率だと思った。

毎週のように何かが巻き起こって、練習生が悔し涙、嬉し涙を仲間と流したり、仲間の為に号泣していた。

カメラに映るほんの1部しか見る事が出来ない私にも分かるほどのスピードで、歌もダンスも、人としても成長していた。1話で編集の力と本人の緊張により、結構叩かれた1pick、語彙力が少し足りないだけで本当は情に厚くて真っ直ぐなひとだと気づけてうれしかった。

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でもたくさんの練習生の魅力に気づくのと同時に、順位発表式がある度にどんどん人数が減っていった。


ある木曜日の深夜、その日に配信されたての第2回の順位発表式を見た。

私の2pick.空くんが脱落してしまったことを知った。  

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自分の事のように悔しくて、もう歌って踊るところを見れないのかなって思うと辛かった。生まれた日が全く同じことに勝手に縁を感じて、それだけの理由で最初は応援し始めたけど、ボーカル、ダンス、あんなに出来るのはヤバい。沼。

今もまだデビューするとかは聞いてないこと、ここだけで言うけど、正直勿体無いと思ってしまう。。でも存在を知れたことは、ほんとによかった。日プに出てくれてありがとう。欲を言えばまたステージに帰ってきてほしいけど、とりあえず幸せでいてくれたら十分です。


最終回、リアタイは出来ず、9時に放送が終わってたからスマホを開けずに、夜の11時から1人で録画を見た。

デビュー評価、テレビの画面に映る20人はもう立派なアイドルだった。今日で最後か、と思うと序盤から涙が止まらなかった。イスは11個しかない。少な過ぎた。

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その日が誕生日だった1pick、ファンダムの方々が何とかして1位でデビューさせてあげたいと盛り上げてくださってたけど、5位だった。今だから言えることだけど、ごめんなさい、盛り上がりに完全に油断した人間がここにいます。私は最終週、メンバーに入った他の2人に投票した日がありました。

正直、受験の年じゃなかったら、応援する方法としてもっといろんなことができたんじゃないか、と振り返って少し思ったこともあった。当時、インスタさえホーム画面から消してしまっていた私にはほかの人に協力を求めることもほとんど出来なかった。広告を出してくれたり、いろいろな方法を駆使して推しをデビューさせてくれた鶴推しの方にはほんとに感謝しかありません。ありがとうございます。。


さよなら青春、色んな意見があったけど、私はあの曲聞くと今でも日プを思い出してジーンとしてしまう。あの約3ヶ月、練習生からすれば約半年は、とっても短かったけど101人の青春だったんだなと思うと、いざ終わってしまったら物凄く寂しかった。

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自分が101人の中の一人だったわけでもない。でもなぜかその青春の中にいたような、一緒に青春を味わわせてもらったような不思議な気持ちがあった。

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夢に向かって真っすぐ努力している皆はキラキラしてた。その姿をみて、自分も自分のやるべき事、頑張ろうと思えた。もう本編は見れないけど、私は101人の頑張りを絶対忘れたくない。

1pickもメンバーに入ったし、気づけば日プにのめり込んで応援してたから、その流れでJO1を応援すると決めた。ていうか、いくら微力とはいえ、投票で人の人生変えてしまったんやから責任もってTOPに連れていかなあかんやんかと。←


少し時が経って、

1月の中旬、私はパンパンの目から涙を流しながら自転車を漕いで、散々だった入試の自己採点をしに学校に行った。消えてなくなりたいな、と思ってしまってた18歳になる誕生日の日。学校から帰ったら、韓国からハングルまみれの荷物が届いた。IUのファンクラブキットだった。その日に来たのはほんとにたまたまだったと思う。

でも少しだけ、「もうちょっと、頑張れるかな。」って気になった。ちょっとの間見れてなかったツイッター、JO1から受験生に向けてメッセージが届いていた。

「諦めずに頑張れ。」

周りの人からあの時期よく言われていた言葉だったけど、

この言葉にあんなにも重みを感じたことは正直無かった。

そうだ、この人達は誰も途中で諦めなかったな。

自分でも何だかよくわからないけれどいろんな感情が溢れてきて枯れるぐらい泣いたことを覚えている。もちろん私だけに贈られた言葉じゃない。でも、どん底にいる気分だった私にとって、あと1ヶ月、後悔しないようにやり切ろう、と思い直せた瞬間になったと思う。

あの時もう1回頑張るきっかけをくれた推し達。

思えばいつも彼らの姿に、歌に、言葉に、私が背中を押されていた。

本当にありがとう。


根はものすごく真面目なのに笑ってほしいという気持ちからかカメラの前ではふざけてくれる鶴房、スカウトされて高校中退して韓国で練習生して、でもデビューできなくて帰ってきて、それでももう一回アイドルを目指してくれてありがとう。

美しすぎる歌声とお顔とお心をお持ちの上に、親の借金を返したり、何かあるたびに莫大なお金をファンクラブ名義で寄付するIU。すごくないですか?もうIUちゃんに至っては聖人とか天使とかもうそういうレベル。好きと同時に尊敬が止まらない。(?)

こんなにのめりこんだのは歌声、パフォーマンスだけじゃなくて人としてもとっても素敵だなって思うからだと思う。


JO1にはこれからTOPに行ってほしいからこそ、いろんなものに対して歯がゆい気持ちになる時も正直ある。

それでも、

いつも全力で頑張る11人を見ていたら応援したくなる、夢を絶対に叶えて欲しいと思う。

いつかペンライトで埋め尽くされた会場を見て欲しい、憧れのアーティストと共演して欲しい、大きな舞台でパフォーマンスをして欲しい、レッドカーペットを歩いて欲しい、、、

その夢が叶う日が来るまで私はたとえ干からびても生きなければいけないと思うし、何としてでもこの世にしがみついてみせますよ。(重い)


それまではCDは1枚で充分、て考えの人間だったけど、少しでも力になりたくて、CDをたくさん買ったり、とりあえず載ってる雑誌を買いまくったりMVを何度も何度も見始めた時は自分でもびっくりした。人の考えってここまで変わってしまうもモノなのか、と。


思い通りの大学生になり切れず、つらいな、と思った時も動画をみて気づいたら笑っていたり、毎日のように歌にたくさんのパワーをもらう。 思いがけずヨントンが当たって本当に推しが実在することを知ってしみじみすることもあった。

彼らが確かに私の人生を何倍も、何十倍もキラキラさせてくれてる。

もう推しのいない生活は考えられないんよ。これからもオタク楽しみます。


、とここまでまとまりのない文をひたすら書いてみたけど

なんでこんなことを突然長い文章にしたかというと、

深い理由もないけど、これまでに感じたこと、今の気持ちを残しておきたいと急に思ったのと。


この文章を公開する12月11日は

鶴房汐恩くんの20歳の誕生日、

JO1が結成されたあの日からちょうど一年の日。


本当におめでとう。そしてありがとう。

ずっと幸せでいてください。


これからもよろしくお願いします。🤞


















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