自分の中の「絶対」は信じてみる
感覚値というのはどこまでいっても相対的である。ウェーバーの法則なんて持ち出さなくても、まあそういうもんだ。
ただ、感覚は「絶対」を指すものがある。「自分の中では」というときだ。
人はその「絶対」を羅針盤という。
人に流され、状況に流され、思うように「絶対」にアクセスできない時がある。「絶対」を出しすぎても錯覚に騙されていたり、他人と折り合えないときもある。
それでも、多分指ひとつまみ分ぐらいの「絶対」は信じてあげたい
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