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日々の思いつきマガジン

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日々のきづき、おもいつきを、定型なく、とりとめなく、つづって留めておく本。
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関係は、終わり際に表れる

その人との関係は、別れ文句に出てくる。 そんなことを、友人に言われた記憶がある。くきっと、折れたとげのように、肩口あたりに刺さったままでいまだにチクリと存在している。いまだに、「気になる異物」を引きずっているようだ。 むかし、渋谷駅で、別れ際の男女、とくに女の子のほうが何度も何度も振り返って彼の方を見ていて、こんな詩を書きたくなったことがある。 振り返り 振り振り返り 赤い帽子の間から漏れる 黒い髪をなびかせながら その仕草に 愛しさが表れている 恋人たちの別れ際

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勘違いは、なぜ起こる?

これは、私自身のお話。 私は注意欠陥の気があるので、思考が常に発散ぎみです。だいたい、人の話聞きながら、3から5個のことを同時平行で考えてます。ちゃんと聞く、を「ひとつだけに注意して聞く」というなら、実は全然できてない。 そのせいか、結構な頻度で勘違いを起こします。特に、人間関係や、その人の発言については、「勘違い」というか、状況から全く違った状況を想定する、ということがよくあります。 さっきもいった通り、「思考」がよくとぶので「そこをつなぐ!?」というところをぱぱっと

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毎日ノートをつけること

毎日を上機嫌で生きるコツ。今日のほんの一摘まみの気付きです。 表現するときに、いくつか気を付けていることがあります。 ひとつめは、実名で書くこと。 実名で書いても、問題がないこと、自分のとりえる責任で表そう、と決めています。 ふたつめは、なるべく平易に。もともと「ごちゃごちゃ」考える人なので、せめてアウトプットしたものぐらいは、簡単になるように気を付けています。 みっつめは、問いをもつこと。「問い」から出発することが、世界を感じることだと思うのです。 そして、いつ

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文化とは、「創り続けられるもの」をいう

ひとつの仮説がある。仮説とよぶよりもアイデアがある。 「記憶とは、つねに再獲得されている」。 なにかAという「もの」を覚えているのではなく、つねにAという状態になる「こと」で、人は思考している。 よく例えられるような「記憶のストック」のイメージは、じつはミスリーディングで、ただの喩えにすぎない。喩えに引っ張られてしまい、見逃しがちだが、記憶は持っておくものではなく、「なる」のではないか。 頭のなかに「コンテンツ」があるのではなく、つねに「コンテンツ」となっているのだ。

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noteという駅前

今年に入って、毎日、なにかを表現すると決めた。 いろんなSNSをやっているけれど、選んだ媒体は「note」だった。 長文が読みやすいのがよかった。 写真を投稿しやすかった。 エディタの使い勝手が直感的でよかった。 まだそこまで手垢がついてないが、最近、利用者が増えてきた。 毎日表現するまでは、いろんな理由が思い浮かんだけど、やってみるとこの、noteという場所の魅力は、全然違うところにあったことに気づいた。 自分を試している感覚。 noteに表現して世の中に出すこと

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生きにくいとき、前提条件をはずす

年末年始、誰とも会わず、ただひたすらに引きこもりワガママな生活をしていました。お金も節約しようと、ただひたすらにごはんとミカンで生活していたので、「粗食」でもありました。たぶん、その一週間は遊佐のお米が身体の80パーセントぐらい占めてたと思います(笑) この生活を送ると、いかに自分が「人と関わること」に対して身構え、肩に力を入れて接してきたのかが、痛感されました。驚くほど頭が軽い(もともとに戻った(笑)) どうも、正面に人がいて話すスタイルは、緊張が強くでてくる。 これ

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「なまえ」がつけられる前の「かたち」としてのことばを探している

◇ことばが通じる不思議今日もALTと話していた。僕は英語と日本語を混ぜて、ALTの彼は主に英語で。 毎回不思議に思うことは、「なぜ母語が違うのにコミュニケーションがとれるのだろうか?」である。今日は「冠詞」が難しいよね、という話と「日本語のてにをは」も難しいよね、という話をしたから、なおさら。 「a」なのか「the」なのか、「冠詞をつけない」のかで文の意味が変わる。「水、飲む」でだいたい意味が通じるが「水を飲む」と「水が飲む」は意味がまったく違う。 それぞれにとっては「

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