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日々の思いつきマガジン

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日々のきづき、おもいつきを、定型なく、とりとめなく、つづって留めておく本。
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#気づき

僕たちは、自分の身体の「ネイティブ」か?

ネイティブとノンネイティブの違いは何か。 『ダーリンの頭の中』(小栗 左多里, トニー・ラズロ)のなかに「崩し字が読めないトニー氏」の例で出ていたものが非常に腑に落ちている。 ネイティブは「規格外」であっても解かるのだ。 もっとつきつめて言えば、「細かな違い」を見分けることができるのが「ネイティブ」だと言える。方言と共通語のイントネーションの違い、用語の使い方、などなどの「細かな違い」も感覚的に把握できるのは、ネイティブだからであろう。感覚の細かさを、ひとつの指標として

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フォロワーシップはリーダーシップ ~場をつくる感覚~

今日、一心不乱に遊んでいる子どもたちをみて気づいたことがある。学年のレクリエーションの日であったが、「何が集団として重要か」ということに、ちょっとした実感をもった。 それは、「フォロワーシップこそ、リーダーシップである」ということだ。 ・・・何だか変だが、言いたいことは凝縮されている。 「自覚的に場をつくる」こと。たった一つ、その「視点」を持つかどうかがその集団が「集団」として機能するかどうかを左右するのだろう。 「フォロワーシップはリーダーシップである」。この言い方が、

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自分を大事にするとは?「意味」からの脱却

「人を大事にするためには、まず自分を大事にしないと」。 納得はできる。でも「自分を大事にする」には、何をすればいいのかが、ずっと分からなかった。「好きなものを食べる」なのか「休みをしっかりする」なのか、もう少し抽象度を高めて「自己肯定感を高める」なのか、「承認すること」なのか・・・。 ここ最近、また生来の悪いクセが出てきていろいろな仕事に首を突っ込んでいたせいで、形相が悪くなるぐらい「イライラ」したことがあった。ある人は、まったく悪くないのだが「ほかの人に接する態度と僕に

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ただ、あるのみ

ことばでも うごきでも ないものが、 存在。 存在の世界は、なんと心地よく孤独なのだろう。

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実感のない方へ

実感のない方へ。 「実感」は過去にしかない。 「実感」に囚われると、居ついてしまう。 「実感」はないけれど、全身がゆったりと張る方へ。 身体が、歓ぶ方へ。

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観れば解る 見ても分からない

観たら、解る。 視点を持つこと。 反対に倒れられること。 丁寧に追跡できること。 見ても、分からないさ。

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「身を任せる」

どうも、流れがあるだけらしい。 生きることは、無償行為だ。 底に流れる、うねりのようなものに、 「身を任せる」。 例えば、渦があるところで、うまく腕が回るように。 流れに沿って、足が浮き上がってくるように。 腕を上げるのではなく、「腕を上げる流れ」に沿うように、掘り出されるように、 動いて/動かして/動かされていく

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内潜

自分の内側を見る。 自分の内側を観る。 自分の内側を診る。 内側に潜ることは、外側を締め出すことではない。 外側にあるものを「感じなくなる」ことではない。 外側にあるものを感じつくすことである。 肌に触れる空気、 遠くで生る音、 目の前に佇む色、 触れるにおい、 舌の上のなめらかさ。 「私は今、この世界を感じている」ことを、感じつくすことである。

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情報

情報は、古来「読み取るもの」だった。 風を読み、光を読み、水を読み、木々を読んだ。 特別なものが「交感」し、それを「対話」と呼んだ。 現在、情報は「呼びかけるもの」になっている。 オープンザセサミー。 ちょっと親切な山彦のように、 呼べば応える。 最終的にいきつくところは、 個人の神からの、 「神託」であろう。 知りたかったものが、 欲しかったものが、 望む前に提供され、 提供されて初めて、 「私はこういうものが欲しかったの」と。 ものごととはまわるくつながっている。

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見(ケン)

一度裏側を見てしまうと、 表に貼りついた世界が、まっとうつまらなくなる。 ベットリと貼りついたもの、 薄っぺらなもの、 世界はハリボテだからこそ成り立つように みんな思っているけど ハリボテであってほしいと、 願うこころは、 裏側にしかない。

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骨をつかむ

骨をつかむ。 動きを支えているものをつかむ。 鉛筆を動かすなら、肘の動き。 さらに言えば、肩の動き。 不安定と紙一重の、 土台ごと動く姿勢。

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投稿させていただきます

「~させていただく」 という言い回しがはびこっている。 何をするにも「~させていただきます」 一体、誰に気兼ねしているのだろう? 「~しました」 「~します」 私だって謙虚でありたい。 だが、誰かにお伺いを立ててまで、 何かをしようとは思わない。 自分”が” した 自分”が” する

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「お前の中ではな」

「それは、そうなんだろう。お前の中ではな」 内心の自由は、ある。 信念の自由も、ある。 安倍首相の靖国参拝の際の「英霊を参拝したわけではない」や、 仲井真知事の「公約は変えていない」というのは、 「お前の中ではな」 であって、 「お前の外では違うよ」 と言えるものである。 「内心の自由」は、 立場や権力とトレードオフなはずだ。 決定権を持てば持つほど、 方々に配慮を求められる。 もし、権力をもちつつ、 「何を言ってもいい」 と考えているならば、 それを独裁と、 文

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言い換え能力

グローバル化に向けて、 英語を習得? なぜこうも違和感があるのか。 思うに、「英語」というものが まるで魔法の言葉のように、 一義に決まって、 話せればコミュニケーションが取れるのだ! という誤解を感じるからではないだろうか? はっきり言えば、 それはない。 言葉が話せるから、 コミュニケーションが取れる、 ということはない。 コミュニケーションは、気配を感じることである。 コミュニケーション能力が豊かであるとは、 言い換えられる言葉をたくさん持つということである。

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