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日々の思いつきマガジン

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日々のきづき、おもいつきを、定型なく、とりとめなく、つづって留めておく本。
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2019年3月の記事一覧

アウトプットとは心の余白である

ここ数日、新年度への不安や新しい人間関係、さらに考え続けていることが絡まりあって、なかなかnoteに書けなかった。 書こうという感覚自体が消えていっていたように思う。書こうという意思はあった。むしろ、書きたいことはたくさん転がっていた。 昨日は久々に部屋の掃除をして、今日はぼーっとしながら、天井を眺めていた。書こうという感覚どころか、自分の指を動かそうという感覚すら溶けているようだった。 自分の身体の状態を観察し、ひとつひとつに気を通すイメージで探ってみる。一体、何が起

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はぎ落とす

ひとまず、いろんなものを脇に置こう。 所属、住所、性別、生まれ、名前。 そうしてもなお、在るものは、なにか? 一端、いろいろなものを止めてみよう。 思考、感覚、呼吸、拍動。 そうしてもなお、在りえるものは、なにか? 僕はまだ、一本の花に成れていない。ただただ風に吹かれて、うなずくだけの存在に。 ああなりたいのだ。 花は、「そこに在るだけ」で人を勝手に笑顔にできる。 場をコントロールしたい。人に認められたい。あの子に好かれたい。 自己顕示欲の塊が、身体の外骨

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観る

ビジュアライゼーションのお話をした。 感覚的に「目に見える」ときに、人は「わかった」「面白い」を感じやすい。 たしかに、人は想像の中でしか物事をとらえられない(脳で構成することを想像というなら)。その構成能力は「観察」からしか生まれない。 そのお話をお伺いしていて、読解力が低くなっているのは、文を読まなくなったからでも、ゲームばっかりやってるからでもなく、「観察」する機会が少なくなったからだということを考えている。 観察は、同じ違う、色は?構造がどうなっているのか、動

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違和感はないの?

EMSメンバーのHさんとノンストップで対話をした。いろいろな、事実確認をしながら、螺旋を降りてなぜそれが、気になるのかを掘り下げていった。 「この世界は沈む」という、危機感。それも、短いスパンに。 お互いの認識が、そこから出発していることに驚きつつも、あらためて感じ直して深く実感した。 生き残るための心構えを大事にしていたのだ。 生き残るとは、結局「よく、生きること」に集約されると私は思う。「よく、生きること」がなぜ「よく」なのかと言えば、基礎的な構造があると仮定すれ

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空気はごまかせない

22時すぎに那覇空港に到着した。モノレールまでの高架橋に、空港から一歩出た瞬間に南国独特の湿気と、あのむわっとした匂いに包まれた。 ひねくれてるので、いつも「飛行機に乗ったけど実は盛大なドッキリで、寝てる間にセットが変えられてて同じ場所に降り立っただけ」という感覚を持つことがある。 建物を入れ換えて、舞台の上の書き割りのように変えられたとしても、僕はたぶん、わからないだろう。 しかし、空気はごまかせない。 そう、那覇に降り立ったときに感じた。 EMSで大久保寛司さん

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機能を捨てるわけではないけど

「仕事」といったときにこれまで「機能」が重要視されてきた気がする。役割分担、適材適所、得意な人がやること。 しかし、なんとなくだけどこれからの時代は機能じゃないところが重要視される気がしている。 うまくは言えないが学ぶ姿勢だったり、自他同一性であったり。 コミュニケーションをとって、生き生きとすること、のほうが機能を組み上げるよりも人間としては力を発揮しやすいのではないか。 力を発揮しやすいだけでなく、「成果」にたとえつながらない場面があっても、肯定的に働けるのではな

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気になるものは気になるけど

「話しすぎた」とか「ああ、下心あったなぁ」とか、「怒ってしまった」という状況に結構しょげてしまう。 反省して、しょんぼりすることもあれば、話してる最中に自己嫌悪に陥ることもある。 「完璧を求めすぎ」とか「そんなに気にしなくていいのに」というアドバイスをもらうことが多い。実際そうなんだろうなぁと思っている。し、人に迷惑かけるのが怖いというのもある。 「反応する基準」が低すぎる、すなわち閾値が低すぎるというのもそうだと思う。 ただ、あんまりこれまで響いてなかった。 で、

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尽くす

今日は一言。 1日、1日。 1時間、1時間。 1分、1分。 1秒、1秒。 自分を「尽くして」ますか? すり減らすのではなく、袋の中身を外に出すように、尽くしてますか? ぶわーっと中身を出し尽くして、ぐっすり寝てまた満たされてる。 そんな風に毎日過ごしたいですよね。 自己がなくなって小さくなることを頑張ると勘違いしやすい。 本当の頑張るは、自己が広がり、大きくなっていくこと。 以下オマケ

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自由の承認とは、たぶんおかしな話で

進めていただいた鈴木大拙の言葉を読んでいる。 最初の「自由」の項から面白い。 「自由」は訳語であり、古来日本や中国で使われているニュアンスとは異なると言っている。 「束縛からの解放」を「自由(リバティ)」と西欧では言うが、東洋では「自ずから由る」こと。由るとは存在であること。 絶対とは「対するを絶つこと」すなわち「他との存在区別を絶つこと」。 ごちゃごちゃ考えなくてもそこに存在することが「自由」なのだと思う。 欲望(これは他の存在が関与している)のままに、ではなく

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電気を点ける人ですか?

大学時代のことだ。お昼休みを挟んだ講義だったはずだ。私は生協でごはんを食べたあとに、近くの教室に向かった。休み時間残り10分ほどのときに着いたと思う。 部屋は、暗かった。 中に誰もいないかと思ったが、入ってみると10名ほどの学生がすでに部屋にいた。窓からはたしかに日差しがすこし入ってきているが、それでも暗い。一人の学生は、そのなかでも本を読んでいた。 入り口からすぐのところに、電灯のスイッチがあった。点けてみると問題なく部屋は明るくなった。 なぜだろう? 節電の精神

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正しいよりも、優しい

エッセンシャルマネジメントスクールに通って、残すところあと二回までたどり着いた。 毎回の話が数週間の時を経て気付きをくれる。 今日は大久保寛司さんの「理解されたときに人は変われる」について。 エッセンシャルマネジメントスクールに通うことで、自己変容が起こっている人が多い。これだけ書くと噂に聞く自己啓発セミナーや新興宗教と似たようなもの感じられるかもしれない。 しかし、誰も無理強いはしない。信じることも、やることも、誰かに強制されているわけではない。習ったことを使って自

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電池が逆に入ってない?

電池をプラスマイナス逆にいれると、モーターは逆回転する。理科の実験かなにかでやったときに、すごく感銘を受けた。 実は、自分ができないこと、うまくやれないことはこの「電池を逆にいれてる」現象が起きている。 たとえば、池谷先生はじめ、多くの研究者がいい始めていることだが、「やる気」があるから「行動する」のではなく「行動する」から「やる気」が出てくるらしい。 「考える」から「言葉にできる」ではなく「言葉にできる」から「考える」なのだ。 「努力する」から「報われる」のではなく

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自己開示は難しい?

自己開示が苦手である。こんな文章を毎日ネットの海に投げながら、よく言うと思われるかもしれないが。 ひとつの要因は、僕がややこしく考える癖を持っているからだ。 ある事柄について考えてることはクモの巣のように広がっているので、なにか「自分の思い」や「自分の考え」を相手に伝えようとすると、1を伝えるのに本人としては10の過程を経なければならないので、相手に伝えるのがひどく困難に感じてしまう。 あとは、基本的に思ってることは言ってしまう性質なので、人に言わない自分は、そんなにな

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目に見えないものを

1月30日から「エッセンシャルマネジメントスクール」という社会人大学院に通っている。もう一ヶ月ほど「本質」について、考え続けている。 本質とは「人々が感じるそれぞれの質のなかで、お互いに共通して感じられるもの」という自分なりの定義をしている。 今日、それで、はたと気づいたのは、それでもまだ、「目に見えるもの」を「本質」としていた自分の浅はかさだ。 ことばでとらえて満足し、それがすべてを、引き連れてくると、思っていた。 ことばは大事だ。よく磨かれたことばは、「本質」をと

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