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表現の根源について考える

外的に感受したもの
内的に溢流したもの
どちらかと言うとおれは後者である。

自分とは?自分とは?を繰り返し掘り返す途中で見つける、本質的な自分と当たり前な社会との間に生まれる軋轢に他ならない。

社会性の中で自分自身が抑圧する自分、その反発力による爆発。

しかしながら、一方で幸せを求めること、すなわち社会から解脱を図ると言う個人的願望は、表現の枯渇を意味するのだと。

この相反する人格の対立から生まれる矛盾の波間に揺れる今、何を思うか。

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