三春台を想う

祖父と祖母の家へ向かう。
今の世を象徴する感染病 COVID-19、日本読みではコロナ。(なんて可愛い名前なんだろうね、流行るのも分かる) 先日遂に祖父もその病気にかかってしまったらしい。感染病のせいと、自分のことで精一杯という言い訳で、なかなか逢えない日常が続いてしまった。本当にいつ逢えなくなるか分からなくなってきたようだ。先週には感染病から無事に回復し今日の朝家へ戻ってくる。祖父はもう普通に歩けるほどになっているが祖母は車椅子がなくては移動出来ずベットへの乗り降りも困難らしい。遠方に住む母はなかなか逢いに来れなくて歯がゆいのだろう。自分の代わりに娘の私に今日そのおつかいを頼んだのだ。私はいまその祖父と祖母の家へ向かっている。


彼等には出来損ないの長男がいて、人の年金を食いつぶしている、らしい。(母とその姉からの話なので定かではないが、私の知る限り厄介な居候だ) 年金受給と生活保護という世知辛いものに挟まれ、老人ホームと家の往復を余儀なくされている。それもこれも厄介者のせいだと母とその姉は言うが、普段の面倒を見ているのは俺だと当人は言って聞かず。双方が喧嘩してしまっているので埒があかないようである。家族とはいえ孫の私は他人であるから、なかなか口を挟めないのが事実。母に悲しみを伝えるくらいしかできない。


すごく緊張している。前回逢ったときは手を繋いで目を見て話したけれど、今日逢ったらボケているかもしれない。忘れられているかもしれない。私は変わっていくことに耐えられるのか。今の気持ちを覚えておこうと、電車に揺られる。


まだ祖父母には離婚したことを告げられていない。旦那さんは元気か、いつも聞いてくれる。未だに一緒に仕事をしている仲間なのでほぼ毎日会っていることもあるし、驚かせるのもなぁとおもいそのまま元気だと伝える。いづれ私にも子供が産まれ、きっと母になる。もし今すぐに子ができたとしても、10月10日先なのだ。きっと私はひ孫の姿を見せたかったなと、その時になって悔やむのだ。


私は今日2人に聞きたいことがある。日々何を想い過ごしているのか。長い1日だ、考えていることも繰り返し繰り返してボケてしまうのは当たり前なのかもしれない。あって聞いてみたい。そして新しく買ったデジタルカメラで、彼等の写真を未来へ残しておこうと思う。

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