その一瞬があるからこそ、ぐっと踏んばれるということ。ぐっと踏んばったからこそ、その一瞬があったということ。

今日、いや、厳密に言えば昨日になるのだが、2020年1月30日は、東京大学工学部11号館「講堂」および「ラウンジ」のリノベーションによる「HASEKO-KUMA HALL」のオープニング・レセプションだった。

東京2020オリンピック・パラリンピックのメイン会場である「新国立競技場」などを手がけている建築家・隈研吾さんがデザイン・設計し、「nest of wisdom 〜知恵の巣箱」をコンセプトとして76個の木の箱が取り付けられた場には、東大総長や文京区長をはじめ錚々たるお偉方100余名が集まられていた。

ぼくたちは、東京大学工学部に「HASEKO-KUMA HALL」に隣接するテナントとしての企画提案を行い、8月下旬に第1テナント候補として選ばれたが、その時点で店舗開業のデッドラインは1月30日と決められていた。オープニング・レセプションがその日に決まっていたから。

北海道の米と汁「U-gohan」東大正門は、その締切だけは何があっても死守しなければならないという条件のもとで始動した。それが最も重要で優先すべきことだった。オープンまで5ヶ月というのは、なかなかタイトでシビアなものだった。

初期段階は、そもそも店のオープンが間に合うのかどうかが見えなかった。自分を信じてくれた仲間に感謝し、彼らを信じてやりきろうと決めた。そして、とにかく五里霧中で走るしかなかった。

いい加減なお店をつくるわけにはいかない。スピリッツのこもった、ぼくたち「らしさ」が細部まで宿る、ベストを超えるベターなお店をつくりきらなければならない。さもなくば、隈研吾さんにデザイン監修をしてもらい、多くの仲間たちの力を借りて、少なくない金額の借り入れをして、このプロジェクトをやる価値も意味もない。たとえ始めることができたとしても、続けることはできなくなるだろう。

東大工学部のプロジェクト・メンバーの皆さんとは、喧々諤々でやってきた。1月30日が近づくにつれ、とてもじゃないが吞みこめないと思える要望を突きつけられて苦しんだ。コミュニケーション・エラーについては日常茶飯事。日本最高峰の頭脳が集まる国立大学法人東京大学は大企業。かたやぼくたちはベンチャーである。同じ景色を見ていても捉え方がまるで違う。あまりに大きなカルチャーの違いに苛立ち、失礼な物言いをしてしまったことも1度や2度ではなかった。

そして、今日。1月30日。本番。

U-gohanは、レセプション・パーティのケータリング担当。

できることは全てやってきた。ワインをはじめビバレッジの選定にも相当エネルギーを注いだ。最高のおもてなしを料理に表現した。黒地に赤いロゴマークが小さく入ったエプロンを着て、U-gohanのメンバーが調理をしサービスをしていた。これまで5ヶ月間、ずっと頼りにしてきた飲食のプロフェッショナルは、これまでぼくには見せてこなかった「いい顔」をしていた。やはり彼は、プロのサービスマンなのだ。カッコよかった。

会場に集まった人たちが、いい顔をしている。ワイングラスを傾けながら談笑し、ぼくたちの料理を「おいしいおいしい」と言って食べてくれている。隈研吾さんや、工学部の研究科長はじめ先生方や来賓の方々も楽しそうにしている。

21時を過ぎ、先生方や来賓の方々が帰られたあと、これまで喧々諤々とやってきた事務方が声をかけてきた。ホッとした顔をされていた。そうだよな、今日はいい場だったもんな。本当にいい場だった。いろいろと文句や非難めいたことも言ってきたし、喧嘩上等で何度もやりあってきた。彼は真剣だったから、対話も議論も喧嘩もできたのだ。

あの日から5ヶ月、この日をゴールに定めて走ってきた。なんとか走りきれたのかな。良かった。

ここに至るまでに関わってくれた、すべての関係者に感謝。

明日は関係者限定のお披露目会。そして明後日2月1日がグランドオープンである。


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