スカイマークの経営再建などに取り組んでいるインテグラル社の佐山展生さんが、めちゃくちゃカッコよかった。自分まだまだまだやな、と思える出会いは貴重だ。

今日は久しぶりに沖縄。気温が何℃だったかはわからないのだが、とにかく暖かい一日。

疲れた身体にムチ打って早起きし(と言っても7時過ぎ)、娘と妻といっしょに自然体験学校に。ニワトリを捌き、昼ごはんは鶏尽くし。鶏ガラスープのラーメンと、手羽先の甘辛炒めと、ササミとトマトと有機野菜のサラダと、鶏モモのホイル焼きと、きんかん(卵のたまご)と、トサカと足。

主催は、10年以上も前に知り合った「ネコの自然教室」の丸谷由くん。高3のときにやろうと思ったことを、大学時代から始め、今も継続して活動している。自分に娘が生まれて、自然との関わり方を学んでほしいと思っていたときに、那覇空港でバッタリと10年ぶりぐらいに会うのだから人生は不思議だ。ぼくたち家族が、いつまで沖縄にいることにするのか・なるのか先は見えないが、せっかく自然に近しい沖縄で暮らしているのだから、娘には海を中心とした自然体験をたくさんしてもらいたい。

夕方からは、沖縄大学教授の樋口耕太郎さんがオーガナイジングしている「お金の学校」に参加。ぼくはこの場を沖縄でもっとも価値ある場だと思っていて、妻と娘と3人で参加している。「お金の学校」はおよそ隔週ペースの土曜日開講だが、ここ最近のぼくは土曜も出張が多くて、ほとんど参加できていない。妻はおそらく全参加。娘は7歳だが、樋口さんや皆さんのご好意で最年少参加させてもらっている。エネルギーの高い場というのは、その場に居合わせて、その空気を感じるだけで価値があるものだ。

そうして久しぶりに家族3人で参加した今日のゲストが、スカイマーク取締役会長であり、インテグラル代表取締役パートナーの佐山展生さん。開始時刻オンタイムの18時半に会場に現れ、さっと話が始まった。この方、とにかく本気度が違う。人生における集中度が違う。

佐山展生さんがどんな経歴の方なのかに関しては、樋口さんがぼくたちにご紹介してくれているものがわかりやすい。樋口さんがどれくらいの熱量で「お金の学校」をやっているかも、ここから垣間見ることができると言えるかもしれない。

 佐山展生さんは、日本におけるM&A(企業合併・買収)の第一人者として知られていますが、どんなに成功しても現状に拘泥せず、常人が夢見るような地位をいとも簡単に、何度も、捨て去ってきた異色の人物です。佐山さんはよく「人生はおもしろい。しかし、おもしろくするのは自分次第」とおっしゃいます。
 日本にM&Aという用語が存在しなかった1987年、そしてまだ転職が珍しかった頃、10年以上務めた帝人での高分子化学技術職を辞し、全く畑違いの三井銀行で日本で最初のM&A業務に参画されました。ニューヨーク勤務時代、米州のM&A事業を統括する激務の合間を縫ってニューヨーク大学の夜学でMBAを取得したのが40歳。帰国後、東京工業大学で博士課程を、これも夜学で終了されたのが45歳と、学び続けるパワーは人並み外れています。

 日本で初めて、いずれの金融グループにも属さない独立系バイアウトファンド(ユニゾン・キャピタル)を創業されたのが、同じく45歳。当時日本では実現不可能だと考える人が殆どでした。アスキー、東ハトなどの有名再生案件を手がけましたが、代表パートナーの地位をあっさり手放し、M&Aの独立系アドバイザリー会社GCAを立ち上げ、設立からわずか2年半で上場させてしまいます。村上ファンドから阪神電鉄・阪急を防衛した案件は有名です。
 これらの業務の傍ら、報道ステーションなどのコメンテーター、フォーブスのインタビュアーほかマスメディアにも多く登場し、一橋大学大学院などで教鞭を取られています。そのGCA代表の肩書きも早々に譲られ、徹底して投資先と従業員を第一に考えるファンド、インテグラルを設立されました。2015年に破綻したスカイマークの再生はその事業の一つで、支援を開始した時には、早期退職者すら募集しませんでした。佐山さんが経営を引き継いで以来、定時運行率全航空会社中1位、4期連続で増収増益、売り上げは過去最高を記録しています。

3時間のうちの冒頭約1時間が、佐山さんと野球との話だった。佐山さんは中高時代、野球しかやってなかったという。そこで監督から指導を受けたことは3つ。1)高3の夏まで野球を続けること、2)挨拶をすること、3)時間を守ること。佐山さんは進学校に通っていたから、多くの部員は高2の冬で野球部を辞めた。だが、佐山さんは監督の言いつけを守って、最後までやりきった。高3最後の夏の大会では、優勝候補だった高校をベスト16で破ったが、次の試合で敗れたらしい。佐山さんは言った。そこで監督の言ったことを守ったから、今のぼくがあるんです、本当に、と。そうなのだなと思った。

夏の大会終了後、11月頃から集中しまくって京都大学に進学。その後も、目の前にあることを徹底的にやりきりながら、M&Aという仕事をはじめ、道なき道を切り拓き、結果的に後進に道をつくってきた人なのだと思った。何にしても身体の入れ方が半端ない。せこい生き方をしていない。やると決めたらとことんやる。でも無謀なわけではない。成功する可能性が5%ほどしかないことにチャレンジするのだから、ダメになる可能性95%になったときのリスクプランはあらかじめ思案しておく。蛮勇ではないのだ。それがあるからこそ、自らの最大限の力で目の前にある決めたことに邁進することができる。そうして結果を出し続けてこられたのだ。

主催の樋口さんと佐山さんとは、30年前にニューヨークのビジネススクールで出会ってからのご縁ということもあってか、今日はいろんなぶっちゃけたエピソードを語ってくれたご様子。そうこうしているうちに、佐山さんが今に至った経緯だけで2時間をオーバーしてしまったから、スカイマークの再建についての話は短かった。いわゆる上段に構えた偉そうな訓示めいた話は何もなかった。

そうしたなか、何度か言われていたことがあった。それは、時間がどれだけ貴重かということ。お金のために時間を売っていないか。せっかくこの世に生を享けたのだから、限られた時間を大切にして全力で生きてみよと。そしてとことん徹底的にやって、ダントツを目指してみたらどうだと。うまくいくことが完全にイメージできるような安パイな方向に進むではなく、もっと面白く生きてみたらどうかと。

佐山さんは「このやろう」と思うような冷や飯を食わされたとき、それを糧にしてきたという。その逆境苦境をバネに、次の次元へと跳躍するための勇気に変えてきたという。そんなときだからこそ、できることがある。うまくいくかどうかわからないとき、ましてや他人に説明することなど到底できないとき、それでも自分が何かしらを感じ取っているとき、たとえ周りから「アホか」と思われるようなチャレンジングな方向であっても行動に移せるのは、逆境苦境で「なにくそ」とエネルギーが溜まっているからだという。

昨日で厄が明けた。今日は旧暦の正月、はじまりの日だった。

佐山さんの話を聞き、ぼくは自らが「なにくそ」と思っていることは認めてやろうじゃないかと思えた。もうこれ以上は落ちないところまでは落ちた。底に足がついた実感があった。そこからは随分と浮上したが、今も逆境・苦境の最中だと言えるのかもしれない。2017年3月の出来事は、沖縄に移住してから今に至るまで、ぼくを最も傷つけ損なったものであり、悔しく、またやりきれない思いをしてきたのは事実であった。

そして、そうした成果を現実に生み出した自分自身がまだまだまだなのだと、今日あらためて認識できた。そりゃ失敗するわと思えた。失敗やしくじりには理由があるのだ。まだやれることがあるし、やるべきことがあると思えたし、自らの設定している基準が圧倒的に低かったのだと気づいた。

はじまりの一日。今日は、すっきりと眠れそうである。





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