come back! OUR WORLD_続編


死にかけて、戻ってきたことを書いた。
詳細は、よければ、こちらを読んでほしい。
今日は、その続きを書いておきたい。


あれは、どうやら夢じゃなかった。

現実にぼくは、ICUにいて、
息はヒューヒューとすごい音をしていたらしい。
研修医と話したが、聞いたことがないぐらいの音をしてましたって。
もう戻ってきたので、笑い話だけど。
ホントに一線を越えてもうてたな、、、

気管挿管で気道を確保。
それに人工呼吸器。
やるだけのことはやってもらっていた。
あとは、ぼくが戻ってくるのを待つのみだったらしい。

目覚めたのが、4月30日。
朝、倒れた瞬間を知っているドクターが話しかけてくれた。
それまでは、ぼくは半信半疑だった。
何がって?
ぼくがぼくであるということについて。
ぼくはぼくでないのだろうと思っていたし、
ベッドに手足を縛られ、誰かがぼくを支配しようとしていると思っていた。

ぼくは、小説の世界にいるというのか、
ある種、夢の世界の住人だった。
ぼくは、今津新之助であることを抹消されようとしていると思っていた。
それを執行するために、ナースは管理者として横に置かれていたのだ。
両手両足は縛られ、動きは全くとることができなかった。

身体はまったく動かない。
動ける気配もない。
食事もとりたいとも思えないし、
身近になにがあるかを把握するための視野も力もない。
とにかく身体がだるくて、重たい。
声も出ない。

おしっこをしたいと思う。
しかし、管がつながっているようだ。
それでも、おしっこがしたい。
おしっこをすれば、何かが取り戻せる気がする。
でも、とにかく痛そうな感じはする。
それでも、ぼくにできることは、やってみるしかない。
気合を入れて、夢か現実かよくわからない世界で、おしっこをやってみる。
血が滲むようなというのか、めちゃくちゃ痛い気がする。

とにかく、生きているという気がしない。
病院の匂いが全身に染み付いている。

四六時中ずっと起きている気もする。
ずっと眠っている気もする。
妄想というのか、夢というのか。
アナザーワールドにいる。

目の前で、妄想の世界が広がり、展開し続ける。
ベッドや、看護師や、ティッシュペーパーや、ナースステーション。
リアリティのあるものは何も目に入ってこない。
ライト照明だってそうだ。

とは言え、たまに痰が出る。
それを吐かないと、死にそうになる。
そのときだけは、横にぺっと吐いた。
ベッドの下にこぼれていることもあると思う。
正直、気になるし、痰を床になんて、好みなわけがない。
でも、それぐらいギリギリだった。

ぼくは、ひたすら、目の前に広がる、
古代から近未来までを旅し続けていた。


4月30日、ここが現実世界だと知った。

とは言え、
ぼくは、何もできない。
穏やかに眠ることすらできない。
起きていることもできない。

時間感覚がない。
ただ、眠ることができない。
とにかく眠りたい。
眠れない間、ずっと思考が動いている。
イメージの世界を動かすのを止めたい。
仕事のときだって、こんなに動かないよね?!

やっとの思いで眠ったとする。
それでも、およそ30分ほどで目覚める。
それの繰り返し。
そうしてイメージの世界が展開する。

もう、耐えるしかない。
1時間1時間、1日1日が過ぎていくのを待っていくしかない。
ぼくにできることはそれぐらいだ。
しかし、時間はなかなか過ぎていかない。
重たい身体を無理やりに起こして、時間を確認する。
それすら命を削ってやっている。
そして、なんとか願うような思いで時計の針が進んでいてほしいと願う。
でも、実際にはほとんど前に進んでいない。

ぼくの、4月30日、そして、5月1日は、
そんな世界のなかにいた。
現実世界には戻ってきたのだろう。それは認識し始めていた。
そう思えるようになりつつあった。
でも、それ以上ではなかったし、世界は行き詰まっていた。

世界は控えめに言って絶望的だったし、
とても苦しかった。
自分のやれることは忍耐だった。
しかし、ここから逃げるという選択はなかったし、
とることもできなかったし、考えたこともなかった。
時間は進まなかったが、この流れに委ねるしかなかった。
自らがやれることなど何もなかったが、
そのなかでぼくは自分ができることを最大限にやってはいた。

絶望の先に、何があるのだろうか。
この体験によって、世界はぼくに何を伝えようとしているのか。
この人生において、本当に大切なことは何なのか。
ぼくは、これからいかに生きていくのか。
絶望の先にある光は、
元あった絶望とは次元が異なるものなのだろうか。

にっちもさっちもいかないところに立たされていた。
不思議なことに、どこかで、はっきりと分かっていた。
これ以上世界のどこに行っても、ぼくの隠れ場所はないのだ。

ぼくは何かを手放し、何かをアップデートし、
なにかしらの方向にシフトしなければならないのだろう。
自分を変えなくていい、ということがありえるだろうか?
どうやら、それはなさそうに思えた。
それは絶望的であったが、希望でもあったのかもしれない。
いずれにせよ、ぼくにふんばる理由を与えてくれた。

沖縄の家族、一緒に仕事をしている仲間たち、友人たち、
ほかにもさまざまな人たちのことを思った。
これまでにお会いした人、お会いしたことのない人。
いろんな人たちが現れては去っていった。

正直言うと、そんなことを横に置いて、少し静かに休みたかった。
でも、そんなことは許されないようだった。
ほくの目の前には、次から次へとご縁が立ち現れては去っていった。

ぼくが生まれてきたからの40年余りも流れた。
と言うのか、古代時代から近未来まで、
地上絵からデジタルペインティングまで、
さまざまな景色が目の前に浮かんでいった。
とても綺麗だと思った。
できるならこれを形にしたいと思った。
クリエイターはこのビジョンを現実化できるのだろうか。
ぼくもやってみたいと思った。

目の前を流れる多くのことについて、
自分との関わりについてはわからなかった。
でも、きっとぼくに関わっていることなのだろう。

ぼくは、とにかく休みたかった。
でも、休ませてはくれなかった。
眠りたかった。けれど、どうやっても眠れなかった。
諦めるしかないようだった。
忍耐。忍耐。忍耐。そして、また忍耐。
どうやらそれしかなさそうだ。

そして、この先に、なにかしら光を見出そうと思った。
絶望の先にある光を。
自分の生き筋を。
残されたいのちを、救われたいのちを、
お前さんは、何にどうするんだい?

目を閉じても、浮かんでくるのは、そうしたイメージの塊だった。
具体的なものもあれば、抽象度の高いものもあった。

ぼくはとにかく疲れていた。
身体は動かなかった。
しかし、もはや、ここが夢だとは思っていなかった。
ぼくは生きなければならないのだ。

ほくは、1分を過ぎるのを待ち、30分を待ち、1時間を待ち、
時に幸運なことにイメージの世界に入り込むことができる僥倖を得て、
そして、またその世界から引き剥がされる。

気づけば、確実に1日は経つ。
1日が経てば、今よりは良くなっているだろう。
ぼくはそれを頼りにした。それしか頼るものはなかった。

朝は来るのだ。来るに違いない。
次の朝まで、なんとかやりすごすしかない。
そして、ぼくは決してあきらめない。

気づくと、4月30日の朝9時から、まる1日が経っていた。
眠ることはできなかった。
次の朝は来た。

自分にとって大切ななにかが訪れている。
このようなことがなければ、得ることができない何かしら。

浦島太郎は、5月1日になった。
京都に来てから、まだ1週間しか経っていなかった。


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