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完璧で怠惰な、ありそうでなかった東京

茜色と群青を混ぜたような空を背に、夕陽を浴びた六本木ヒルズが必死に輝いている。人々が東京タワーを見る目は変わらないのに、六本木ヒルズを見る目はずいぶん変わった。

色あせないモノには文化財としての役割があるが、色あせるモノにだって仕事がある。たとえば「あったかもしれない人生」を思い出す、古いレコードのような。

10代の終わり、東京を訪れると会うひとがいた。付き合っているわけではなく、付き合ったこともない。
第一、彼女にはしばしば恋人がいた。

男女の友情に「ちょうどよい回数」というものがあるのかは分からないが、「友達」と呼ぶには少し会いすぎていた。

彼女は戯れでメールに「お兄ちゃん」と書いたりするがもちろん僕らは兄妹でもないし、「お兄ちゃん」という言葉はズルい。バランスをとるように僕も「妹のような」と返信してみるも、ぎこちない。きっと言葉に宿るズルさの量が違うせいだ。

ながい夏休みと短い冬休み、時々の春。僕たちは東京を歩いた。

「おもしろいお店があるんだ」
いたずらっぽく笑う彼女が教えてくれたのが、後楽園のヴィレッジヴァンガード。その無秩序な刺激はとても東京的で、僕らはヴィレッジヴァンガードでも十分に盛り上がれたし、彼女が薦める高橋歩の『人生の地図』だって迷わず買った。
ナチュラルに急速に東京に馴染んでいく彼女の姿に、僕は焦っていたのかもしれない。

00年代なりたての東京と、いまの東京はやっぱりちがう街だ。

吉田修一『東京湾景』、江國香織『東京タワー』、矢沢あい『NANA』。当時の東京を舞台にした物語にはどこかに「隔たり」が潜んでいて、それが物語に色気を添えていた。

『NANA』は2009年から休載しているけれども、
「雪降る地方都市から上京、シェアハウスして、クスリをやる彼氏がいても夢をつかみ、ミリオンを飛ばして・・・」
そんな物語の舞台を、2020年の東京が担えるだろうか。すこし微妙な気がする。

格差や虚構やアンフェアを見て見ぬふりして、欲望や成功でラッピングする。清と濁がギリギリのところで綱引きしている東京が面白くて、

その象徴が六本木ヒルズだった。


彼女は気まぐれな「完璧主義」で、その主義が生来のものなのか、東京が作り上げたのかは分からない。

できたばかりの六本木ヒルズの高層階。東京タワーが見えるレストランで出てきたミディアムレアの羊肉の上には、複雑に組み上がったプレッツェルのようなものが乗っていた。
「どないやって食うねん」
ナイフとフォークを握りしめたまま、僕は途方にくれた。

僕がプレッツェルをどう攻略するかを見定めるように、彼女は沈黙する。あるいは小さく息を吐いたような気もする。沈黙でもため息でも、意味は同じだ。プレッツェルめ。とても六本木ヒルズ的だ。この時から僕は六本木ヒルズになんとなく苦手意識を持っている。

会計は忘れもしない、2品と2杯で12000円。カラオケ店のアルバイト店員だった僕の、煙草の匂いと爆音にまみれて働いた3日分の賃金だった。


後日、客が散らかしていったカラオケルームを片付けながら、プレッツェルについて、ひとり反省会をする。
音楽のボリュームをかすかに聞こえるレベルまで落とし、マイクコードを八の字巻きで束ねてていく時の静寂がここちよい。静寂と沈黙は似ているけど、まったくちがう。

ふいに流れてきた曲が気になり、耳をすました。

もしも10年時を戻せるなら、同じ道を選ぶだろうか
もしも10年先の僕に会えたら一つ教えてほしい
その場所へ行く方法はこれでいいのか
     馬場俊英「一瞬のトワイライト」

なるほど。「あるかもしれない人生」と「あったかもしれない人生」の境目はトワイライトのようだ。

レミオロメン「太陽の下」や大塚愛「プラネタリウム」、あの時代を切り取る名曲も流れていたのに、だれの歌かも知らない曲が妙に記憶に残り、ふと思い出されたりする。

1度だけ、彼女の家に泊まったことがある。

いきさつは思い出せないのに、その家の天井の高さは憶えている。絶対に届かない位置にある小さな窓は、光を思いきり取りこみ、部屋に陽だまりを作っていた。その部屋はどこか教会を連想させた。

昼をすぎても布団に転がりながら彼女は、ぽつぽつと親の複雑な事情や自身のとある持病について教えてくれた。いきなりの告白に、僕は馬鹿みたいな質問しかできない。

「どうして、話してくれたの?」
「なんとなく。」
「なんとなく、」
「一応、言っておこうと思って。」
「一応、」

「一応」の意味は20歳の僕には複雑で、返すべき言葉が見つからない。彼女はおかまいなしに、陽だまりに浮かぶ文字を読み上げるようにつぶやく。

「仕事行きたくない。さぼっちゃおうかな」

それは完璧主義な、あるいは完璧主義に見える彼女の、めずらしい怠惰だった。
東京では怠惰はとても貴重で、時には美徳にさえなるみたいだ。僕は珍しい蝶を見送るように、言葉がひらひら舞いながら溶けてゆくのを眺めることしかできなかった。

その後すぐ、僕は東京で暮らすことになったのだけれども、もう彼女と会うことはなかった。

その気になれば簡単に会えるはずなのに、会う口実を失ったような。あるいは「隔たり」が失われたことも理由だったのかもしれない。不意に隔たりが失われたことで、僕たちは距離感を見失った。


いま、東京を静かな「隔たり」が包んでいる。
そのせいだろうか、思い出す歌がある。

もしも10年時を戻せるなら、同じ道を選ぶだろうか

あの天井の高い部屋での怠惰な午後に、完璧な言葉を選んでいれば何かが変わったのだろうか。

東京には「あるかもしれない人生」と「あったかもしれない人生」があふれている。きっと今この瞬間も、どこかで誰かが言葉を探している。

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