ヴイアライヴについてのお気持ち

情報を見ていたら非常にモヤモヤしたので少し吐き出す。
正直に言って、この企画は失敗すると思う。理由を以下に述べる。

ターゲット層は?

バンダイナムコが営利目的でこの企画を立ち上げたという前提の上で、ターゲット層を便宜的に2つに分けてみた。と言ってもシンプルに、①既存のファン(P)と②新規層である。

①については次の章で言及するとして、②について述べる。

今回の企画はVtuberを見る層にもアイマスに触れてもらおう、という意図のはずだ。その上で、Vtuberを見ている層がこの企画に馴染むか、と言われるとそうではないと思う。私自身、話の面白いVtuberは好きなもので、月ノ美兎などは好きでみている。ただこれはVtuberとしての月ノ美兎が好きというよりもむしろ、中の人が好きなのだ(もちろん、委員長は設定を割と守っている側、という見方もある。私が忌避感なく見れているのは私の中で折り合いがついているからだろう。「月ノ美兎ならではの企画が〜」という枝葉末節についてはここでは言及しない。名前を出して申し訳ありません委員長。)

本題に戻ろう。私が主張したいのは、
「Vtuberを見る層は、そのVtuberの設定や世界観には興味が無い」
ということだ(ここも詳しくは言及しない)。よって、アイマスらしいVtuberを展開するのであれば、「そんな設定を忠実に守っただけのVtuberなんて面白くない、合わない」と判断されてしまう気がする。

企画が既存の顧客(P)にとってストレスすぎるのでは?

では次に、既存の層に向けての問題点を指摘していく。

仮にヴイアライヴがアイマスらしいアイドルで、Pから一定の支持を得たとしよう。そうだとしても、
「応援して下さい、一定ラインに行かなければ引退です」
というやり方は、ほぼ脅迫に近い。引退したら、
「引退したのはお前ら顧客が金を落とさなかったからだ」
というのは顧客にとってかなりストレスフルなのではないか。
これまでのアイマスの企画はどれも、上位を取れば特典(ボイス等)が付く、というものだった。今回は向きが逆だ。
例えば子供に「テストで1位取れたらゲーム買ってあげるね」と言うのと、「テスト悪かったらゲーム没収ね」というのはどちらが一生懸命勉強するかはともかく、後者の方がストレスなのは間違いないだろう。子供にとってのゲームと同様に、そのコンテンツが素晴らしいものであればあるほど失う恐怖に駆られ、ストレスが溜まっていく。

sideMの件もあるので、引退させるシステムを企業の都合と考えてみる。企業として利益の出ないコンテンツを継続させる理由はない。確かにそれはしょうがない。ただ、それは企業が精一杯のコンテンツを提供して、顧客に刺さらなかった結果としての打ち切りである。これまで築いてきたアイマスのブランドを借りて、本来ならばするべき企業努力を顧客に丸投げし、失敗したら顧客のせい(実際の意図はともかく、私はこのように感じてしまう)。これはあまりにも誠意に欠けるのではないか?内容が良ければ顧客は金を出す。コンテンツについてまだなんの納得も得られないまま、ナイフを首元に突きつけられている。
今のこの状況自体がストレスである。

「別のプロダクションとして新設、または  既存のプロダクションに加入」は許容されるか?

別のプロダクションとして新設する、というのはまだ理解できる。だが、既存のプロダクションに加入するというのを到底Pが許容するとは思えない(私は許すことができない)。なぜならこの企画は他のアイドルマスターとは完全に分離された存在だからである。仮に配信活動がうまくいき、加入します、となったとき、そのヴイアライヴのアイドルが一体どうして既存のアイマスの世界観に入っていけようか。そのアイドルの歴史はリアルの我々と配信で交流したケガレであり、リアルと隔絶された世界観に不純物が踏み入るのは御法度だ。アイマスの世界のPを通して我々はアイドルを、世界を解釈しているのだ。アイマスがメタフィクション要素の強いコンテンツだったらまだ許容できたかもしれないが。加入する場合、Pとの出会いや他のアイドルとの絡みを考えると、世界か何かしらが歪められるのは避けられないだろう。

引退はリアル感の表現?

今度は引退のシステムを企業の都合ではなく、表現の一部として考えてみる。「リアルのアイドルはこんなにも厳しいんだぞ!テレビで見るアイドルの裏には無数の屍があるんだぞ!だから人気の無いアイドルを引退させるのがリアル感の追求です!」という考えなのだろうか。
リアル感を出したいという趣旨なら、シャイニーカラーズが既に十分やってくれている。まさかシャニマスがうまくいっているからこの企画も「同様に」上手くいく、とでも思っているのだろうか?それは流石に、ものづくりに対する解像度が低すぎるのではないか。シャニマスは、アイドルマスターという世界の中でアイドルとは何かを哲学していく試みであるからこそ意味があるのだ。
「リアル感を出すためにリアルをそのまま見せつける」という行為は、リアル感の『表現』から最もかけ離れた蛮行である、と私は思う。

最後に

以上のことから、もちろんまだ何も始まっていないのでこの企画が成功へ転ぶのか失敗に転ずるのか検討もつかないが、このモヤモヤが杞憂に終わることを強く願う。中の人もPもバンナムも、誰も幸せにならない、なんてのはまっぴらごめんだ(中の人の雇用問題については今回割愛した)。ただでさえ我々は今、sideMとミリオンライブの件で不信感がふつふつと溜まりに溜まっているのだから。不信感が時と共に消えていくと思っているのならば大間違いだ。そんなものを抱えたままコンテンツを応援するのが気持ち悪い、居心地が悪いから、みなどこかで折り合いをつけて自分を納得させているのだ。企業は顧客の声を軽視してはいけないと思う。顧客の声を反映させるな、と言われることもあるが、その「顧客の声」という一言の中に、どれだけの前提が含まれているのだろうか。私はただの消費者なのでポジショントークのように繰り返すことしかできない、企業は顧客の声を軽視するべきではない、と。
そしてその声が反映されないとなれば、おそらく私はその企業にとっての顧客ではないのだろう。ただただクリエイターが作り出す素晴らしいコンテンツに敬意を払い、お金を払いたいだけなのに、悲しい。
ただただ、悲しい。

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