日記 悪口を言わないで
日記。
楽器やりてえ〜となり、同僚と一緒にオタマトーンを購入した。夢中で触ってしまうので指先が常にちょっと痛い。
楽器って始めるハードルが高くてなかなか手を出せないけど、オタマトーンくらいだと気軽で良い。何より、「できる楽器が一つ増えた」という喜びがある。ギターやピアノは「できる」と言い切れる実力になるまで時間がかかる。この時間があることで挫折の可能性が高まるわけだが、オタマトーンくらいだと2日くらいで一曲弾けるようになるので成功体験の積み重ねが簡単にできる。これはいいことだ。この調子で次はタンバリンとかに手を出したい。
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Twitterのタイムラインにやたらと悪口が流れてくると思ったら、AIのツイート分析らしい。これがどうも、精神に悪い。
赤の他人に対する架空の悪口でしかないはずなのに、視界に入るたびに小ダメージを喰らう。最近知った、「脳は主語を区別しない」というのはこういうことかと思った。自分が攻撃的なことを口に出しているとき、その文章の主語や方向性を脳は区別できないから、相手に対して自分が放った攻撃的な言葉は自分自身をも攻撃している、といった話だったと記憶している。
「他人の悪口を聞くのが辛い」と思った経験はかなりある。それは「自分も同じように言われているんじゃないかと不安になる」とか「自分も加担しているような気分になる」みたいな辛さももちろんあるんだけど、それ以前に、「悪い言葉を覚えてしまう」という問題があるんじゃないだろうか。
人は、自分が知っている言葉でしか思考することができない。だからこそ、他人の言葉を日々吸収することで自分の思考を豊かにしている。というか、その方法でしか思考は豊かにならない。1から100にすることはできても、0から1を生み出すことは到底できないからだ。外から入ってきた言語を自分の中で組み合わせることで、我々は思考を作っている。AIの仕組みと同じだ。
問題はその外から入ってくる言語というもので、それらが悪い言葉だらけだとしたら、それらをもとに作られる思考は悪いものでしかなくなる。言葉を組み変えていられるうちはまだマシだ。悪い言葉がたくさん入ってくる中で、言葉を組み替えて自分の思考にする作業をサボってしまったが最後、他人が作った出来合いの思考をそのままインプットする形になる。人間そんなに毎日毎秒思考していられないから、他人に与えられた悪い思考をそのまま自分の思考に置き換えてしまうことだってあるだろう。
他人の悪口聞きたくない、という話に戻ると、その理由としては他人が使った攻撃的な単語や言い回しが、そのまま自分の思考を作る材料になってしまうからだろう。攻撃的な言葉を知ってしまえば、その言葉は自分の思考にも現れることになってしまう。そしてその攻撃的な言葉はふとしたときに自分を襲ってくる。記憶というのは不可逆なので、取り消すことはできない。ボキャブラリーが増えることには、良い面も悪い面もある。
活字というのはとりわけ脳に刻み込まれやすい、と聞いたことがある。人の話し声という音よりも文字の方が、文章の内容がダイレクトに飛び込んでくるのだろうか。とにかく、今のタイムラインを見ていると、たった1秒目にした悪口AIの言葉が脳にズバッと刺さる感じがする。一語一句目を通しているわけではないのに、それでも悪い言葉が入り込んでくる感覚がある。なんでAIにこんなことされなきゃいけないんだ。
AIもAIで、人間がインターネットに放った言葉を学習して文章を作り上げているわけなので、この話における人間の思考とAIは堂々巡りをすることになる。人間が悪い言葉を生み出し、それをAIが学び、AIが人間に向けて発信し、人間がAIから学ぶ…という巡回が起きているように見える。ちなみに今までの話は出典も何もない私の考え方なので、間違っても自分の思考に置き換えることがないようにしてほしい。
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