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日記 優しさポイント稼ぎ

日記。


暑い。水風呂さえあれば整うのではないか。

日差しの強い昼間が暑いのはまあわかる。ジリジリ肌を焦がすような熱源が真上にあるわけで、そら暑いわなという納得感がある。ただ、夜になっても蒸し風呂のように暑いのは意味がわからない。ただ「空気が暑い」という状況が未だに飲み込めず、不気味に思える。昼間の暑さがオーブントースターだとしたら、夜の暑さは電子レンジに近い。

子供の頃は夏=夏休みという認識があったからこそ、夏が好きだった。幼馴染の家に行ってゲームをしたり、おばあちゃん家の近くの市民プールに行ったりするのは大好きだった。でもそれは昔の気温の夏休みであって、こんな蒸し風呂だったとしたらいくら夏休みといえども嫌いになっていただろう。

ここ数年でとことん暑さに弱い体質になった上、夏になると毎年メンタルがやられるようになってしまったので、この季節だけどうにかしてスキップしたいと毎年思う。こんな気温でいるうちは、今後誰と何をしても楽しめない気がする。そういう絶望も込みで、夏が嫌い。



以前、日記に「優しい人間になりたい」といったようなことを書いた覚えがある。ここでいう「優しい人間」というのは、人のミスや迷惑をおおらかに許せるような人間、という意味で書いたんだけど、それを突き詰めていくと「優しさ」というものは「相手にとって都合の良い人間である」ということになるなと考えた。

自分で言うことでもないが、私は比較的穏やかな性格だし、対人関係においても穏やかにしている方だという自覚がある。にもかかわらず、あまり人から「優しいね」などと言われたことがない。それはたぶん、私が他人にとって都合の良い行動ができないからだと思う。できないというのは、自分の意思でしないこととは違い、今相手が何をしてほしいのかといったことを感じ取る能力がない、という意味だ。

少し話が逸れるが、いつでも人に親切にすることができる人間というのは、一定数存在する。飲食店で箸を配ったり、人のために扉を開けたり、そういう類の親切を当然のようにする人というのは身の回りにも多くいて、そのたびに私は居た堪れない気持ちになる。

私はこういう種類の人間のことを「優しい」と思うが、それも結局のところ私にとって都合の良い人間だ、という意味なのかもしれない。箸をとってくれる人は都合が良いし、扉を開けてくれるのも都合が良い。なんというか、私みたいな人間は人の優しさを搾取しているのではないかと思いゾッとした。優しさを優しさで返す力がない。人の優しさをチューチュー吸い上げることで作られた人生である。

まあこれらの例は「優しさ」の一種にすぎなくて、私が得意とする優しい行動は他にあるのかもしれない。落ち込んでいる人の話を聞くとか、愚痴聞き相手になるとか。こういう行動に比べたら箸を配ることなんてお手軽な優しさに思えるが、それができない以上どこかで人並みの優しさポイントを稼ぐ必要があるなと考えている。必要がある、なんて誰に決められているわけでもないが、社会の中で生きていく以上そのへんの足並みを揃えておかないと、いつか負債を背負う羽目になる予感がする。優しくない人間のことを、誰も助けてはくれないだろう。全て自己満足にすぎないけど、優しさポイント稼ぎの穴場を見つけよう、と思った。

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