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日記 寿司に溺れた日

久しぶりの日記。


両親から「寿司の食べ放題に行く」とのお達しがきたため、行った。早めに行って並んでるからと聞いたので、私も30分前に到着したところ、まだ誰も来ていなかった。生ぬるい人たちだ。

久々に家族と会い、信じられないほど美味い寿司を食べた。うにがあまりにも美味しくて、顔にパックして帰りたいくらいだった。回転しない寿司ってちゃんと美味しいんだな。今後スシローに行く機会があったら、嫌でもこの美味しさが頭を掠めてしまうことだろう。スシローの魅力が、相対的に下がってしまった。

寿司を囲んで、各々の近況報告をした。私といえば、話したいことがたくさんあったはずなのに、結局のところしょうもない笑い話ばかりしていたような気がする。悩みがあっても乗り越えた途端に都合の悪いことを全部忘れてしまうタチなので、さぞお気楽に見えていることだろう。でもそれでいい。

一度にまとめて注文するシステムだったのだが、うちの家族は総じてバカなので後先考えず注文しまくった結果、後半全員で苦しむ羽目になった。自分の中で目の前の寿司が「義務」に切り替わった瞬間があった。義務寿司を手分けして平らげ、もうしばらく寿司は食べたくないと心の底から思った。

しかしバカなので食後のシメにサーティーワンを食べに行き、追い討ちをかけた状態で解散した。満腹状態で3時間ほど一人で苦しみ、目に入る食べ物の画像全てにメンチを切っていた。正直今もまだお腹いっぱいだ。



「そばかす」を見た。恋愛感情を持たない女性が、マジョリティの圧を受けながらも大切な人との関係を築いていく話。私の大好きな三浦透子さんが主演なので見た。

私も何かのかけ違いがあったら同じ苦しみを味わう羽目になっていたかもしれないな、と終始考えていた。幸い周りに恵まれているから呑気に暮らしているけれど、もしマジョリティの価値観を押し付けてくる人に出会ってしまっていたら、主人公と全く同じ立場になっていたと思う。これはパラレルワールドの自分だ……と思い見入ってしまった。

良い映画を見た後はなるべく他の人の感想や評価を目にしないことにしてるんだけど、アプリで情報を調べていたら間違えてレビューを読んでしまった。「ポリコレ映画」だの「多様性の押し付け」だの書かれていて、心底腹が立った。

この作品は多様性の押し付けなんかじゃなくて、多様な在り方を「ただ見せている」作品にすぎなかった。ただその事実は、主人公のような人間が実際に存在しているということを身をもって知っている人だけがわかることであって、主人公のような感情を持ったことのない人間にはわかるはずもないことだ。「押し付け」と捉えられてしまうような表現は、フィクションなんかじゃないんだけどなと思った。主人公みたいに恋愛感情がない人間のことを、フィクションだと捉える人もきっと大勢いるのだろう。

かくいう私は私で、「片方が恋愛感情に発展してしまったら友達ではなくなる」という表現をフィクションだと思っている。そういった人間の心の動きの理屈がわからないというか、好きな人は好きな人のままでいいじゃんと思う。好きな人に自分よりももっと好きな人がいたとして、確かに同等の愛を受けられないことは少し悲しいかもしれないけど、それだけで相手のことを嫌いになれるわけがない。価値観の調和って難しいな。

この映画を見て自分の中に残ったのは、「友達がほしい」という感想だった。愛とか恋とか考えないで、ただ一緒に愉快なことができる友達がほしい。友達を作りたい。

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