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スマホとフィルムカメラにおける逆転現象

 仕事忙しの乱に勝利した。世は毎日日記を書くぞの時代に突入する。しないかもしれない。


 ツイッターでも書いたが、今日読み終わった本があまり好みではなかった。
 言葉を選ばずに言うならば全然面白くなかった。

 今までにも、そういう本が数冊あった。
 共通点はある。「『感動』と帯にデカデカと書かれている」「映画化している」「その映画のヒロインが有村架純」など。(これで大体雰囲気が伝わってくれたら嬉しい。)
 「感動させまっせ!」という圧が滲み出ている文章が苦手だ。その圧に気付いた瞬間、急激に冷めてしまう。淡々と書いた言葉が勝手に人の心に入り込んでいく小説こそが良いのであって、はじめから感動の方へ見え見えの誘導をされてしまうと抗いたくなる。逆張りオタク故の悩みかもしれない。

 好きじゃない小説をあえて紹介する場があったらいいなと思う。
 わざわざ好きじゃないものについて話すことってあまりないけど、誰かの嫌味たっぷりな読書感想なんかを聞いてみたい。嫌いなものに対する攻撃姿勢こそが、その人の真の姿だと思うから。




 この間現像に出したフィルムをようやく受け取ってきた。1ヶ月も保管してくれてありがとう、カメラのキタムラ。 

 半分くらいは失敗してたけど、それはそれで味があって好きだ。予想していた10倍上手く撮れている。


失敗例①
失敗例②

 フィルムカメラがどういう仕組みなのか未だに理解していない。
 自分でフィルムを装填して、巻き上げて、現像してもらって…というアナログな工程が目に見えるからこそ、被写体がフィルムに映る仕組みって何!?とか、なんでピントが合うの!?とか、カメラの根本的な原理についての疑問が浮かんでくる。
 その点、スマホやデジタルカメラはそれらが誕生したときから既に「そういうもの」としてあるような気がしてしまって、仕組みや構造に疑問を抱いたことがなかった。物理的に内部が見えないことも関係するのかもしれない。
 スマホよりフィルムカメラの方が高度な技術なのでは?という錯覚に陥ってしまった。


 そういえば、京都旅行記の続きを書いていない。もう随分前のように感じる。もういっそ、自分の記憶の中だけに留めておこうかなという気持ちになってきた。綺麗に言ったけど、面倒臭いだけです。

お茶にピントが合っててとても面白い

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