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日記 指先から音が鳴る

日記。


通院デーなので仕事を休んだ。月一で通ってる病院が2軒あるんだけど、同じ日にハシゴすればいいじゃんと今更気づいた。歩いて30秒だし。

1軒目はメンタルの方のクリニック。最近調子がやや悪かったことを報告したら、頓服だった薬を毎日飲むように言われた。

通院しておきながらも未だにモヤモヤしているんだけど、やっぱり自分は病気と気質の境目にいるような気がする。時々気分が落ち込むのもやる気が出ないのも頭が回らなくなるのも、誰にだってよくある出来事であって、自分は誰のもとにも常に存在しているような身体の雑音を拾いすぎているだけだ。

とはいえ、その雑音を無視できないこと自体が問題なのであって、私は単に雑音との付き合い方が下手な人間なのだと思う。コントロールが下手くそな人間を病気とは呼ばないが、それによって起こる症状に苦しめられているという事実はちゃんと問題視していい。苦手なことを克服できる薬が目の前にあったら、そりゃ飲むさ。こんな風に考えて、付き合っていくほかない。

2軒目はいつもアレルギーの薬をもらっている皮膚科。いつもは非常勤の優しい女医さんに診てもらっていたが、今日は空いていたからか初めて院長の診察室に通された。“休日にロックバンドのギタリストやってるタイプのお坊さん”みたいな院長に、「どう!?見せてみて!?薬効く!?じゃあ大丈夫だ!!!!!」と大声で言われ、非常にロックンロールな診察だった。こんなヤバ医者がいつも隣の診察室にいたのか。メンクリのしっとりとした診察の後に食らったおかげで交互浴にような爽快感が得られたので、次の診察も絶対この時間に来ようと思った。


Amazonで「ギター」と検索すると一番上に出てくるエレキギターが届いた。

数ヶ月前から「楽器やりたい」という曖昧な気持ちが渦巻いていたが、結局無難なギターに着地した。血迷ってアコーディオンとか買わなくてよかった。

YouTubeを見ながら基礎練習をしてみるも、想像していたよりはるかに難しい。世のギタリストたちが只者ではないことがよくわかった。手は大きい方だし指も柔らかいからもうちょっとセンスがあるかと思っていたけど、今のところ全く上達のビジョンが見えていない。Fコードなんて一生弾ける気がしない。

でも楽しい。自分の指先から音が鳴ることが楽しい。むかし管楽器をやっていたときは、コンクールのためとか試験のためとか、はたまた人に上手と思われたいからとかで、他者のために上達するというモチベーションが常にある状態だったけど、結局それらに追い詰められてしまいあまり良い結果は残せなかった。私ってモチベーションに他者評価を含まない方が良いタイプなのかもしれないな。自分のために頑張ることならできそうだ。

当面の目標はスピッツのチェリーを弾くことなんだけど、今のところ曲がりくねった道を行っただけで太陽は生まれてすらいない。早く生まれたての太陽に出会いたいものだが、そのためには魔のFコードを弾けるようにならないといけないので、随分と遠い道のりだ。新しいコードが出てくるたびに「は?」と言いながら練習している。Fコードを考えた人は多分ギターとか弾いたことないんだと思う。


短歌作りにハマっている。

まず、思考って単語から生まれるじゃないですか。自分の引き出しに入っている単語を引っ張り出してきて机の上にバッと並べて、それらを組み合わせることで文節が生まれて、さらにその文節を並び替えると文章が生まれる、というイメージ。

頭の中で常にこの流れが起こっているのを、日頃から意識してしまう。文章として完成されたものは人との会話やツイートや日記を介して出荷されていくんだけど、最近は文節や単語がなかなか文章として完成せず、いつまでも巣立っていってくれないため、頭の中を漂い続けてパンク寸前だった。

それで深夜に、言葉のたまごたちをかき集めて五・七・五・七・七に並び替える作業をしていた。ずっと掴み所がなかった単語を無理やり三一文字に当て込んでしまうと、それが「短歌」として完成し頭の中から出荷されていくような感覚になるので、スッキリした気分になる。溜め込んでいた怒りや悲しみや悩みの種を、作品に仕立て上げることで、それらが自分の元から離れていく。

頭の中が言葉で埋め尽くされている状態は疲れる。疲れているから埋め尽くされるのか、埋め尽くされるから疲れるのかはわからない。「人は自分が知っている言葉でしか物事を考えられない」とはよく言うけど、言葉を組み合わせて自分だけの作品を発明していかないと、いつの日にか人の言葉で圧迫死してしまう。死なないために、毎日少しだけでも言葉の並び替え作業をするようにしたい。

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