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変化を求める勝者は、弱者の小さな勇気を知りえない

生まれてから子どもに成長し、大人になって年老いていく、その過程において周りから変化を求められる時にがあります。

求めに従って自分を変える、従わざるを得ず自分を変えさせられる、それに逆らって環境を失い変わらざるを得なくなる、逆らって自分を通して自我として強化する、様々な方向性があります。

その人にとってネガティブなことマイナスなことであっても、その時のその人には必要だったものを、変化をはたらきけける人は蔑み・見下し・価値がないものとしがちです。

タバコは体にわるいし周りに健康上の悪影響を与える、パチンコは依存性があるから堕落の入り口だとか、6か月たった新入社員に対して「やっとお客様意識がなくなったね」とか「少しは使えるようになったね」とか。短気だった代表に対して「昔より丸くなったね」「独断ではなくて皆の意見を聞くようになったね」みたいなこと言ったり。

はたらきかけをして変えた方はまるで「勝者」のようにふるまいますが、変えられた方は「弱者」なのでしょうか。

一見悪いもの、ネガティブなものもその時のその人が生きるために必要だったもので、それをしていた時が自己肯定できる唯一の時間だったかもしれません。

変化を求める周りとは会社・学校・家庭・パートナーといったある関係性です。変化したら肯定され、変化しなければ否定される。自己を肯定される場が他に拡がるかもしれない、そんな期待のもとで変わることができます。

自分を肯定するのは難しくて、周囲の求めに応じて自分を変えることによって得られた他己肯定を増やすことも大事ですが、やっぱり根本にあるのは自己肯定で、それがないと変わりすぎて自分を失ってしまいます。

ネガティブな習慣を手放し、ポジティブな習慣を手に入れることで変わっていくわけですが、昔大事だと思っていたものを手放すことはとても勇気がいるものです。また、手放したとはいえ、未練はあって、戻らないように抑えることができるようになったということです。理性的になったといえば一言で、自分の中ではすごいことだと思います。

変化を求める「勝者」は、こうした弱者の小さな勇気を知りません。

「勝者」側にずっといることの弊害が様々な失言や失態、事件や紛争として見えてきました。価値観が変わってきた現代において、この小さな勇気を知り得ない人は、この変化を察知することができません。数年したら単なるハラスメントな人として自然と淘汰されるでしょう。

弱者として変化をかさね、人の小さな勇気を知っている人は社会的な意味ある活動は何か感じることができます。そして、ある程度実力がついたら、卒業と言って、強者の元から去っていきます。卒業と丸い言葉では言っていますが、それは「強者への気遣い」です。かつての強者を時代遅れの遺物として、ゆっくり気を遣いながら追い抜いていくのです。

自己肯定をしながら、変わっていける人は強い。そういうお話でした。

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