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つらい状況の人の横に、ふっといれること

昨日、昔私がIT企業で働いていた時に短い期間でしたがマネージャーとして関わってくださった方の訃報がとどきました。その方とは、私が会社を辞めてからはFacebookで誕生日のお祝いメッセージを送るくらいのやりとりでしたので、ご病気のこと、体調のことを知らなかったのでとてもショックでした。

一緒に働いていた時は、ちょっと上から目線でばんばん言う人だな・・・と少しだけ苦手意識がありましたが、冷たい感じではなくて、その方なりの愛情表現であることがなんとなく伝わってきたので、ばんばん言われてもなぜか憎めない不思議な方でした。

数年前、私はとてもつらい状況で、この後生きていけるだろうかと思い悩む時がありました。その方は、そのことを間接的に知られて、わざわざメッセージをくださいました。かなり落ち込んだ状態だった私に対して、働いていた当時のまんまのざっくばらんな感じで、「さいきんどうよ?」「へー、で●●はおまえの今の状況知ってるんか?」「よーわからんが、まーがんばれや」みたいなやりとりに思わず笑ってしまって、それで肩から力が抜けたのを覚えています。

本当にきつい状況になった人に対して、ひとは、いろんな接し方があることを知りました。お話は丁寧に聞いてくださるけれどそれっきり連絡が途絶えてしまう方。お話の中で気分を害されたことがあったのかあからさまに嫌悪感を出す方。一緒にこちら側に立って世の中の理不尽さに怒ってくれる方。あの件どうなった?と定期的に声をかけてくれる方。様々ですが、ほとんどは距離をおく、知らないふりをするです。自分自身もおいこまれてくると体力的・精神的に元気がなくなってくるので、きつい状況の人はこうして孤立していくのかと知ったり、関わり方で元気づけられたり、生きる希望につながることもあるんだなとわかりました。

こういう状況だったので、当時、この方がふっと横の立場でメッセージをくださったこと、とても感謝しています。

その方と仲のよかった方に聞いたのですが、その方は長年闘病されていて、痛みや苦しみと共に日々生活されていたとのことでした。つらい状況の人に接することはすごく難しくて、いろいろ考えたあげくに結局なにもできなかったとなりがちです。でも、その方は、ご自身のそうした背景があったからか、その時の私に声かけをしてくださいました。

つらい状況の人に、声をかけられるか・かけられないかは、人として生きていく上で重要なことだなと、いつも思っています。それは命に関わることです。

数年たって、つらい状況を脱出した私は、その報告をその方にメッセージしたのですが、そのお返事が「よかったな」「また、ゆっくり飯でも。」でした。そして、それが私とその方の最後のやりとりになりました。

ゆっくりご飯は食べられませんでしたが、あなたのようにつらい状況の人の横にも、ふっといれる人になろうと思います。ありがとうございました。

安らかにお眠りください。




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