180日後に去る私 61

この頃から、もちろん社内外に関わらず飲み会などは控えましたし、不要な外出も個人単位ですが、減らしていました。

上記も含めて会社からは
「手洗い、うがいの励行」
「社長の許可を得た飲み会以外は禁止」
など、
ごく当たり前のことと、なんじゃそのルールは?ということと、いくつかのお達しがありました。


幸い工場のメンバーは誰ひとりコロナに感染する事もなく、日々の業務をこなしていきました。
営業や本社の事は、私達作業員には情報が届いてこなかったですが…色々と大変だった事は聞いていました。

ある時、本社のオフィスが入っているビルで陽性者が出て、大騒ぎになった事がありました。
どの企業も同じですが
「我が社から決して感染者を出さないように」
と必死でした。幸い、本社でも何とかこのピンチを乗り切った様でした。

2月から4月にかけては、プライベートでも抑圧が増え、職場でも食事や雑談時も気を遣うことが多く、ストレスを抱えていたと思います。

4月になって、ちょっとした出来事がありました。
LINEが残っているので確実ですが、2020年4月6日、月曜日の事です。

工場長から「頭痛と発熱」が理由で、休むという連絡が入りました。
時期が時期だったので、これはついに工場から陽性者が出てしまった…と思いました。

段取りや荷受けの変更などの指示を受けて、私がこの日真っ先にしたのは
「全員の緊急連絡先を提出、共有」
でした。

そうです、連絡は全て工場長に集中していたので、中には互いの連絡先を知らない社員もいました。
会社として有り得ない状態でしたが、これで一応誰かに何かあっても誰かに連絡はできます。


事態を重くみた社長が、その日の午後に工場へ来られて、緊急会議が行われました。

「もしT君がコロナ陽性だった場合、どんな不具合が予想されて、どんな対応が必要ですか?」

という趣旨でした。
これまでを読んでもらえれば分かる通り、弊社というのは本当にお恥ずかしいのですが

「問題が起こる前ではなく、起こってから対策を考える」

という…本当に先読みができない、後手後手の対応が常でした。

会社を去るまで
あと120日

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