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山羊座22度「敗北を優美に認める将軍」

マーク・エドモンド・ジョーンズの山羊座22度のサビアンシンボルは、A general accepting defeat gracefully.「敗北を優美に認める将軍」。

ディーン・ルディアはこの山羊座22度のサビアンシンボルを、 By accepting defeat gracefully, a general reveals nobility of character.「敗北を潔く受け入れることで、将軍は高貴な性格を明らかにする」と言い換えました。

この二つのサビアンシンボルを見比べてみると、言い回しの違いはありますが、ルディアはもともとのジョーンズのものに、 reveals nobility of character 「人格の高潔さを明らかにする」という文章を書き加えたことがわかります。

この度数のドデカテモリーは乙女座です。乙女座には、「貴族的な」というたとえが使われることがあります。たとえばサビアンシンボルとしては、乙女座14度には「貴族的な家系図(ルディア版)」が、そして、乙女座27度には「お茶会をしている高貴な貴婦人(ジョーンズ版)」があります。

乙女座は土のエレメントに属し、ルーラー(支配星)は水星ですので、具体的でなおかつ細やかなことに目が行く性質を持っています。それに加えて、身体が持つ特性としての健康管理や、きれい好きなどの性質も象意として持っています。

これらの、「きれい好き」「きちんとしている」「細やか」などの性質が、線の細いイメージとして「貴族的」というニュアンスに合致するとされてきたのでしょう。ルディアがこのサビアンシンボルに使っている nobility という単語も、「高潔さ」「崇高さ」などの他に、まさに「高貴な生まれ」「貴族階級」といった意味を持つ単語となっているようです。

このサビアンシンボルのもともとのサインである山羊座は、乙女座と同じ土のエレメントに属します。ですので、ここでは「現実を直視する」土の要素が、とても強まっているといえます。とくに乙女座には「等身大の」という象意もありますから、山羊座があらわす社会性の中において、ここでは「背伸びをしたり虚勢を張ることは好まない」といった性質が出てくることになります。

このサビアンシンボルにフォーカスすると、日本の幕末の江戸城無血開城のお話が思い出されます。第十五代将軍の徳川慶喜は、幕臣の勝海舟らのアドバイスを受け入れて、戦わずに江戸城を開城することを決めたといわれています。

その理由の一つとしては、当時の東アジアの情勢があったと考えられているようです。もしも国内で戦いを激化させると国力が落ち、そうなると周辺のアジア諸国がそうであったように、日本がヨーロッパの列強諸国の植民地になってしまう可能性がありました。

このサビアンシンボルの度数である「22」は偶数で、偶数は、奇数の能動に対しての受動、つまり受け入れ力を表わします。このサビアンシンボルに使われている accepting は、まさにその「受け入れる」ということを表わしています。

江戸城の無血開城の場合は、戦わずしての敗北でしたが、戦ったのちの敗北にしても、いずれにしても、敗北を受け入れるには、それなりの覚悟と意志の強さが必要であることに気が付きます。

将軍慶喜の場合でも、「意気地なし」といった批難や誹(そし)りがあることは十分に分かっていたでしょうし、そしてまた、今まで持っていた社会的な立場や所有物の放棄の覚悟がないと、この受け入れはできなかったわけです。

山羊座サインは、本質的に「世のため人のためになることをしたい」という欲求を持っていますので、このサビアンシンボルのパワーを発揮するには、本当の意味で、「世のため人のためになるために、今ここで自分がすべきことは何だろう?」ということを見極めて判断できるということが大切といえます。

目先の勝ち組になることだけを追い求める姿勢では、この度数が持っている核心部分に触れることはできません。

たとえば、この「勝ち・負け」ということも、それを見るサイズによって、簡単にひっくり返ることもあるわけです。たとえば将軍慶喜が取った行動は、当時の狭い国内の価値観としては、薩長連合の維新軍に対する「負け」であったわけですが、もっと広い東アジアの国際情勢の中においては、将来的に日本という国が「勝ち」となる行動だったともいえます。

むしろ、このサビアンシンボルの度数である22度が持っているパワーの発揮の仕方は、「受け入れ力」にあるといえます。「受け入れ力」というのは、いつけん弱そうなパワーと思われがちですが、将軍慶喜が取った行動を思い起こすと、それはけして弱いものではなかったことがわかります。

これらのことから、この度数を活用する一番のポイントは、そのような決断をすることにした「自分を許す」ということになりそうです。

たいてい負けがわかると、その原因を誰か他の人たちのせいにしたり、運や環境など自分以外の何かに責任転嫁して、自分は悪くないと考えてしまいがちです。このプロセスにおいては、一番難しいことが、「負けを認める自分」を「自分で許す」ことなのではないでしょうか。

「人格の高潔さを明らかにする」姿のおおもとには、敗北を受け入れる自分自身を、自分自身で許すという受け入れ力が無いと、この行為はできないことがわかります。


山羊座22度 今季洋