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2019年の始まり〜種目別W杯トライアル〜

2019年はぼくにとって激動の1年だった。
その始まりを振り返ろうと思う。

2019年年明け、新年初練習の時に初めて種目別W杯の日本代表選考トライアルがあることを知った。

それに出るためにはまずビデオ審査で14.966以上が見込める演技を1月の下旬までに出さなければいけなかった。
2018年末(11月の全日本団体)まで組んでいたDスコア(難度)は6.2。これだとEスコア(出来ばえ)で8.766以上を出さなければ、14.966には届かない。あん馬で8.766以上を出すことはかなりキツい。

その日から、その時できていた技を全て盛り込んだDスコア6.7の演技構成でいくことに決めた。Dスコアが6.7であれば、Eスコアは8.266以上を目指せばいい。Eスコア的には現実的なスコアである。

しかしながら1ヶ月もない期間でギリギリできる技を盛り込み、通したこともない6.7の演技構成を完成させるのは相当厳しい状況であった。(体操関係者なら首が取れるくらい頷いているはずだ)

それでもやるしかない。約1ヶ月間、死ぬ気で通し込んだ。
毎日のようにユニフォームを着て、1日5〜6本6.7の通しにチャレンジした。始めの方は技の完成度的にそもそも通せず、技に慣れてくると体力問題にぶつかった。最後の下り技で失敗することも何度もあった。前腕が張りまくっていても、握力がほとんどなくなっても狂ったように通しをした。おそらく人生で一番通し込んだ。あの期間なら「俺が世界一あん馬を通していた!」と自信を持って言えるくらい通した。

そしてビデオ審査締め切り3日前。
ようやく誰が見ても14.966以上出るだろうという演技をビデオに収めることができた。この期間の練習はぼくがあん馬一本でやっていくための土台と軸を作ってくれたと今は思う。

圧倒的な量をこなした上で質を上げる。

それまでの体操人生で、どこか楽をすることや効率よくという言葉に逃げていた自分を見つめ直すことができた。

無事ビデオ審査は通過し、本番のトライアルは2月にNTC(ナショナルトレーニングセンター)で行われた。
W杯日本代表になるにはこのトライアル本番で14.966以上を出さなければならない。

トライアル当日。
前日の夜は緊張でよく寝付けなかった。夜中に何度も寝返りをうち、考えないようにしても自然と頭の中で演技がスタートした。夜中ベッドの上にいながら、本番さながらに心臓が脈を打った。それでも気がつくと朝になり、そわそわしながら体育館に行く準備をした。体育館に行く途中、初めて緊張で胃が痛くなった。

実はこれ程までに緊張していたのは理由がある。
この種目別W杯日本代表選考トライアルが開催されることも知らなかった2018年末、所属であるセントラルスポーツとは2019年の6月に行われる全日本種目別選手権でメダルを取れなければ現役を引退するという条件であん馬一本に絞らせてもらっていた。
その時は4月から始まる全日本種目別トライアルが初戦となり、そこで失敗したら即引退。そんな状況で巡ってきた種目別W杯日本代表になれるチャンス。この代表の切符を手にできれば、全日本種目別選手権のあとも体操を続けさせてもらえるだろうし、あん馬だけに種目を絞った選択が間違っていなかったと胸を張って言うことができる。
これからの体操人生を左右する大一番に緊張しないわけがなかった。

演技前。
体育館は異様な雰囲気だった。観客はおらず関係者と報道陣のみ。普段の大会ともまるで違う。静まり返った体育館に関係者の「がんば!」の声と報道カメラのシャッター音だけが響き渡る。

前日にあれほど緊張していたため、本番はどんな心理状況になるのかと思っていたら意外にも緊張はしているものの頭は冷静だった。

「年明けから何回も通してきた。ここまでやれることはやってきた。これでダメなら悔いもない。」
そんなことを考えながら逆に吹っ切れた気持ちで演技を始められた。

最初の技はトンフェイ。体の感覚を確かめるためにサイド旋回で最初に着く右手にかかる体重を意識して感じる(これは冨田先生に教わった)。最初の技ゆえに力が入りすぎて腰を折ってしまうクセがあるからそこを気をつけてまっすぐな姿勢(自分では反り気味)を意識した。まず成功。

次はウグォニアン。ここも腰を折らず反るような意識で「タンタン〜タンタン」のリズムで手を動かす。ここも成功。

次は鬼門のブスナリ。前日まで何度も失敗していた一番の不安箇所。正直、いつも技を仕掛けたくない。ずっと仕掛ける前のサイド旋回を回していたいと思っている。でもそんなことは言ってられないのでやる。

「あわてず落ち着いてまず倒立に上げる」
「上半身の重心は外に、下半身は移動方向に!」
いいイメージに現実の動きがなぞっていくような感覚でやる。(これも冨田先生に教わった)

「きた!」

手の着く位置を確認し、いい重心の位置で1回ひねり、大きく崩れることなく戻ってこれた。最後の左手に体重がかかり過ぎたけどなんとか気合いで押し返した。成功。

中盤でのセアー倒立。片手になる時間が長いため重心を崩さないように。手を素早く入れて倒立になる。倒立のとき手が震えているのがわかった。後から良宏さん(監督)にも「あそこ手震えてたぞ」って言われた。ここも成功。

Eコンバイン。失敗しやすい箇所ではある。重心の位置がブレないように一手一手しっかりと握る。成功。

開脚マジャール。先行する右手が押し負けないように体重を感じつつ、抜きで腰を切り返して素早く左手を着く。それをもう一度繰り返す。成功。

間髪入れずに開脚シバド。同じく右手を先行させる。シバドの抜きはあまり腰を切り替えさず左手を着く。もう一度繰り返す。成功。

開脚旋回から閉脚旋回にシフトする。1周回してロスに…

「ヤバい」

体重が後ろにかかり過ぎてて前に移動できない!
と判断し冷静にもう1周旋回を回した。

8技目で体力もキツい中、この判断ができたのはそれまでの通し込みで体力に自信を持てていたからだと思う。前までの自分なら早く下り技に向かいたいが故に、無理にでもいってミスをしていたと思う。

1周回したことで重心が戻り、落ち着いてロスを成功させることができた。

9技目はEフロップ。一手一手を丁寧にやりながらここまできたら落ちるもんか!ととにかくポメルを握った。「最後まで動かせ」という周りの声も聞こえた。成功。

ついにきた、ラストの逆リアー倒立下りひねり。身体は冷静に動かそうとする一方、絶対に上げる!という気持ちでいっぱいだった。

「頼む!上がってくれ!」と自分でも祈るような気持ちで技を仕掛けた。

「上がった!」
すぐに手を動かしひねって着地を決める。成功した。

いろんなものから解放された安堵と内からこみ上げる喜びを噛み締めるようなガッツポーズが自然と出た。

「やった!やった!」と終わってしばらくしても興奮は収まらなかった。ひとしきり喜んだあと、点数が出るのを祈りながら待った。

「できることはやり切った。今出せる実力も出し切った。それで十分。」という気持ちと「どうせなら派遣得点を超えてくれ!」という気持ちが交錯していた。

採点が終わり点数が発表される。

「ただいまの得点…」



「14.966!」

「よっしゃー!」
最高の気分と同時にあまりのギリギリさに冷や汗をかいた。派遣得点ぴったりでの選出。「絶対できる!」と思いながらやってはきたけれど、やり遂げたという実感はすぐには湧かず、信じられない気持ちだった。

ぼくは努力していれば必ず報われるとは思わない。事実報われないこともあった。経験上、むしろそっちの方が多い。報われなかったときも目標に対して手を抜いていた感覚は全くなかったし、そのときの自分が考え抜いた方法で努力を重ねていた。そのときは努力の仕方やがんばり方を間違えてたのかもしれない。でも必ず成功するがんばり方なんてものはだれにもわからないし教えてはくれない。自分で考え迷い、選択するしかない。目標に向かう途中で何度も「このがんばり方でいいのか?」と弱気になる。そのたびに自分が信じた方法を「これで大丈夫!」と自身に言い聞かせてやり続けるしかないのだ。

やれることをやり切った上で『今回は』報われた。運もよかった。

全く同じ努力をしても成功することもあれば、失敗することもある。タイミングや運に左右されることもある。理不尽とも思えるこの世界で大事なことは、とにかくチャンスの打席により多く立つこと(立てるように努力すること)だとぼくは思う。

2019年の年明けから2月のトライアルまでの1ヶ月半の経験は間違いなく、今後もぼくの人生の軸となるだろう。それくらいいろんなことを感じ、いろんなものを得た期間だった。この経験は体操人生はもちろん、引退後の人生においても必ず活きると確信している。

こんな感じで最高のスタートダッシュを切ることができた2019年ももう終わり、まもなく2020年を迎える。

言わずと知れたオリンピックイヤーの2020年。
現役として東京オリンピックが目指せるということ自体が奇跡でもある。
だからこそどんなに低い可能性でも諦めず全力でそこを目指していきたい。





読んでいただきありがとうございます!