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いい年をして公共の場で知らない人から叱られること

この週末は来たる令和に向け、万葉集について見聞を深めるべく、奈良に行ってきた。東京およびネットの世界では、万葉集と奈良ブームがアッパーな世代を中心に到来し始めていると感じていたけれど、奈良はまだそんなに盛り上がっていない様子だった。相変わらず鹿が多く、空気が穏やかで、ゆったりとしたいい街だった。

いくつかの寺や庭を訪ねつつ、今回は春日大社の中にある万葉植物園にも行ってみた。園内は万葉集に登場する花々が、それぞれに対応する和歌の看板と共に植えられており、絶好の令和スポットなのだけれど、人はかなりまばらで、好天の中、じっくりと園内を楽しむことができた。

中ほどまで歩いて行くと池があった。水中には色とりどりの、そして全体的に大きめの鯉たちの姿がちらほら見えた。私は鯉がいる池を見ると、つい手を叩いて呼び集めたくなってしまう習性があり、本当に小さく、パンパンパンパンと手を叩いて、池の鯉たちに召集をかけてみた。

するとみるみるうちに鯉たちが集まってきて、私はいい気分になった。集まってもらったのに、あげられる餌がないことを、やや申し訳なく思いつつも、向こうの方にはまだ集まりつつある鯉たちの姿が見えたので、更に小さくパンパンパンと叩いていた。鯉たちは更に集まってくれて、私はとても満足だった。

そこに後方から50歳前後の欧米の夫婦らしき人たちがやってきて、私が振り返ると、女性の方が厳しい表情で私の方を見つめ、口元に人差し指を立て、シーッ!というポーズを取った。

周りに誰もいなかったし、そんなにうるさくなかったはずだとは思いつつも、私はこの年齢になって公共の場でこんな風に注意され、しかもそれに対して反論すべき余地がないという状態にショックを受け、非常にみじめな気持ちになった。会社の後輩や友人に見られていたら、これはずっと語り継がれるシーンだったなと、余計なことに気を巡らせつつ、動揺した表情でその場をすぐに離れた。

思い起こせば3週間前のアフリカ旅行中、ジンバブエの大地の真ん中にあるオープンなホテルで一人朝食を食べていた際も、私は欧米の人物に注意をされた。

朝食が提供される前にひとしきり携帯電話を見ていた後、配膳が終わり、食べ始めたら他のお客が騒がしいので、後ろを見たら、野生のリスがいた。周りはかなりガヤガヤしていて、観光客なのだしこれくらい良いだろうと思い、振り向いて写真を2.3枚取ったのち、静かに席に戻って朝食を食べていたら、向こうから欧米からの観光客と思しき男性がわざわざかなり向こうのテーブルからやってきて「ヘイ、ボーイ」と私の肩を叩いた。

そして英語で「さっきお前が写真を撮ったリスは、お前がスマートフォンをいじっている間、お前の真横の柱にずっといた。アフリカまで来てスマートフォンをいじっていることで損をしていることに気づけ」といった、かなり真っ当な意見を強い口調で言い、また向こうのテーブルに戻って行った。

この時も、この年齢になって公共の場でこんなまっすぐな注意を受けたことに、非常にみじめな気持ちになって、会社の後輩や友人たちに見られなくてよかったと、余計なことを考えて気を紛らわせた。

最近、生きていてみじめなことや、やるせないことが多い。そしてそれらの多くは、池の鯉問題や野生のリス見逃し問題のように、大したことではないように見えて、人間の資質に関わる深い部分もあり、更に自分に責任があって言い逃れできないことも多く、ただただ反省するしかないケースが続いている。

こんなことに思い悩むために大人になったはずではなかったのになぁと、ずっと考えている。

万葉植物園の池からそそくさと離れる際、ふと振り返ってみると、先ほどの欧米の夫婦が私が立っていた池の淵にいた。夫婦は私が呼び集めた鯉たちを一眼レフのカメラで、実に嬉しそうにバシャバシャ撮っていた。

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